楽曲評論家クソDDのアイドル三十七房

アイドルの話しかしません。

「幸せ」って、何だと思います?

まあこんなご時世、何をするにもお金がかかるわけじゃないですか。

 

食べるのにも、着るのにも、住むのにもお金がかかる。音楽を聴くのにもお金がかかるし、本を読むのにも、もれなくお金がかかる。

Youtubeニコニコ動画を見るのだって、パソコン機器を買うためのお金がかかっているし、そもそも電気代がかかっている。

昨日僕が「昼顔」の映画を観たのにも、もちろんお金がかかっている。ハッピーマンデーだったので通常料金1800円から700円引きの1100円で見れました。

いつか絶対言いたいと思ってたんだけど、わざわざ月曜日狙って映画観に来る人って本当に映画で感動しようとしてる?「いつもより安く映画観ちゃった♪」っていう感動が映画の感動超えちゃうんじゃね?

 

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「昼顔」はおもしろかったです。ドラマ観てた頃からずーっと感じてたことだけど、上戸彩がスクリーンに映るたびに

“この人、いろいろやってるけど実生活はHIROの嫁なんだよな”

って脳裏によぎってしまう自分が嫌になること以外は楽しめました。

 

 

 で、「昼顔」見てて思ったんだけど。これ。

「幸せ」って、なんなんですかね。マジで。

 

 

劇中紗和さんが「私は幸せになろうなんて思ってないんです」みたいなこと言うんだけど、もう俺の中の全員の俺が同じトーンでツッコんでたよ。「いや、じゃあオマエどうなりたいんだよ!?」って。

 

だって紗和さん的には北野先生と結ばれることは「幸せ」そのものなわけじゃん。その事実そのものが幸せなのに、そうなることは自分にとって幸せじゃないってなんだそれ。とんでもねえ自己矛盾だよ。いわばエゴとエゴのシーソーゲームだよ。

 

「幸せ」がどういうものかっていうのは人それぞれじゃないですか。当たり前だけど。だからこそ、捉え方がマジで人それぞれ分かれやすい映画だなと思った。あのエンディングも、あれはあれで幸せだと思う人がいるかもしれない。

 

だから、劇中で紗和さんが何を「幸せ」だと思っていたのかをどう捉えるかによって、見方が全然違ってくる映画な気がしました。

ちょっと叙述トリックっぽいよね。

 

僕にとっての「幸せ」なんて、もう欲しいもの買うとか、聞きたい曲聴くとか、観たい映画観るとか、行きたいライブ行くとか、友達と飲むとか、結局そういうのに帰結すると思います。今は。いずれ変わるかもしれないけど。行きたいライブに行けない人生なんて基本的にはクソ。

 

 

学生時代お世話になった先生とこういう話を昔したことがあって、その時に言われたことが自分にとってはめちゃめちゃセンセーショナルで、今までいろんな人にいろんなこと教えてもらった中でも一番大事にしてることかもしれない。

 

だから「昼顔」見てるときは、なんかずっと先生の顔思い出してました。

本当すいません。せめてもう1度だけなんて思ってないです。

 

もう1度だけってなんだよ。1度目がねえわ。

 

 

「でもまあ、仕事なんて結局ただの手段やから。手段が目的になっちゃいかん。やりたいことをやることが目的であって、その為に仕事をするのはいいけど、一生懸命仕事をすることそのものを目指してはいかん。極論、やりたいことをやるためのお金さえ入ってくれば仕事なんかなんでもええし最悪せんでもええ。宝くじ当てるか馬か舟か当てればええ。やりたいことが仕事そのものの場合は別やけど、地道に稼ぐのが一番確実なだけやから。仕事なんて二の次やで。やりたいことやりたいときにやらな、明日事故で死んだら後悔するで」