楽曲評論家クソDDのアイドル三十七房

アイドルの話しかしません。

でんぱ組.inc「WWDBEST」、最高傑作すぎてもう聴きたくない。

この感情、理解してもらえる人は少なくないはず。 

「WWDBEST」、俺はこの曲を何回も聴くと死ぬ。

でんぱ組の過去作に明るい人なら1回MVを見て曲を聴いただけでどれだけ「集大成」かわかるだろう。リフや歌詞はもちろん、振り付け、衣装、シチュエーションに至るまで代表曲からの引用に次ぐ引用。なんだったら過去のMVに出てきた懐かしのあの人たちが何のためらいもなく次々出てくる。懐かしさのバーゲンセール状態。

前山田健一畑亜貴meg rockかせきさいだぁ只野菜摘・NOBEの6名で作詞、玉屋2060%・浅野尚志・釣俊輔・Tom-H@ck小池雅也の5名で作曲、志賀匠・スミス・田辺秀伸・鶴岡雅浩・BOZO&YGQ・山崎連基の6名でMVの監督。もうなんだかよくわからない。このMVが出来上がるまでに17人のクリエイターがこの曲に関わっている。

それぞれがこれまでのでんぱ組の曲に大きく関わってきたクリエイターであり、それぞれのエッセンスがちゃんと全部入っている。人数多けりゃいいってもんでもないが、今回は別腹ということにしたい。

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曲が始まって12秒ぐらいの間に1回泣けるよねまず。いろんなイントロを重ねて重ねてフィードバックさせている感じからの、ダカドン!っていうスネアから始まる耳なじみのあるエレクトロサウンド。ここまででもう2回泣いてる。

そのほか泣けるポイントを抽出しようと思えば両手両足の指の数をはるかに凌駕する数で出てくるので割愛するが、とにかくこの曲はヤバい。サビ前のあのキメとか何あれ。サーチライトの眩しさでもっと泣ける。MV含めると20名弱のクリエイターが参加するモンスター楽曲なだけに果てしない完成度だが、だからこそ、もう聴きたくない。

 

あまりにも「集大成」で「最高傑作」すぎるんだ。隙がまったく無い。聴いてるとだんだん「あぁ、もうこれ以上のものが出てくることはないな」って感じてしまう。だからもう聴きたくない。この曲がいろんな意味で『最後』になってしまいそうで怖い。

 

かなり話は逸れるが、先日清竜人25が解散を発表した。しかも何の前触れもなく、ライブで披露した新曲の間奏部分で「清竜人25、解散します♡ごめんね♡」とか抜かしてあっさりと解散することになった。読めない。あまりにも読めなさすぎるぞ清竜人

これのズルいところは、披露した新曲の歌詞がガチガチに解散を匂わせていたことだ。「気づけばこんな時間まで歌っていたんだね」とか「こんな遠くまで歩いていたんだね」とか「振り返れば足跡がいくつも輝いてる」とか「きっとそろそろかな」とか。なんでもかんでも過去形にしやがって。古事記か。

現場でも曲聴いててピンと来た人は多分少なからずいただろう。自分も動画で初めて曲を聴いたが、1サビ終わりぐらいでもう聴きたくなくなった。いい意味でも悪い意味でもなく、その曲を聴き終わることが同時にグループの終わりを指しているような気がしてすごく嫌というか、寂しいというか、悲しい気分になってしまう。好きなグループが解散するという現実を素直に受け入れてしまうのが嫌だった。

25の解散に関しては8割ぐらい清竜人の気まぐれだろうが、最近でいうとBPM15Qとか。「BPM15Q ALL SONGS」の「GOOD LUCK」。これはもうまず一言目「グッバイさよなら」から始まるし。解散するのは知ってたけど、曲のド頭でいきなり別れ告げられて流れてくるのは涙。結局曲の最後はカチッっていうクリック音で終わるし、「あっ、停止されたんだ」ってなんか直感的に思ってしまう節があって、そして流れるのは涙。

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ちなみに15Qは、メンバーを増員して「CY8ER」として活動を継続するらしい。

 

そして改めて「WWDBEST」を聴いてみると、25の新曲然り、「GOOD LUCK」然り、ここ最近のアイドルたちの解散を象徴する楽曲と同じ雰囲気を感じる。それがどこから来るものなのかはいまいちピンと来ないが、直感的に「なんかもうこれ以上はなさそう」と思ってしまう。

なんだろうこの感じ。ここ最近最上さんが病んでて脱退するんじゃねーかとかねむさんが「武道館は絶対見に来てほしい」って言ってたからやっぱり脱退するんじゃねーかとか、そういう前振りの情報があったからだとは思えなくもないが、それを抜きにしてもなんか腑に落ちない、この曲。なんだろうマジで。めちゃめちゃ良い曲だし泣けるポイント盛り沢山なのに「めっちゃいい曲」ですんなり終わらしてくれないこの感じ。

まさか、そんなことないと信じてるし、この曲より凄いのをもし今後出して来たら、いよいよ世界征服だぞ。でんぱ組.inc。がんばれ。

いくらファンタジーの世界でも、無償の能力っていかがなものか問題。

ハリー・ポッター」の世界に、「アロホモラ」という呪文がある。

なんて素敵な呪文だろう。杖を振ってこの呪文さえ唱えれば鍵のかかった扉を開けられるらしい。あまりにも汎用性が高すぎる。しかもこの呪文、ホグワーツの1年生レベルで簡単に使える入門用のような呪文。ホグワーツは空き巣とピッキング魔の養成所だったのかもしれない。仮に目撃者がいたとしても「オブリビエイト」で忘れさせて、反撃してくるようであれば「ステューピファイ」。なんてこった。ただの死喰い人だ。

 

といったように、現実世界では100%起こりえない現象を起こすことができるのがファンタジーの世界の魅力だ。だから、ファンタジーの世界の中で起こっていることに対してそんなことあるわけねえだの現実味がねえだのああだこうだと講釈を垂れることほど野暮ったいことはないという自覚もあるのだが、それでもどうしたってこれだけ言わせてほしい。

ファンタジーがなんぼのもんかは知らないが、どんな状況下であっても、「無償の能力」なんてものはあり得ないんだ。絶対。

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「ファンタスティック・ビースト 魔法使いの旅」を見た。

基本的にはおもしろい映画だった。上であれやこれやとファンタジーに対して大風呂敷を広げた割に、僕は「ハリー・ポッター」シリーズが大好きだし、ファンタジーの世界観も大好きだ。

ハリー・ポッターとは全然違う、いわば魔法動物マニアとでもいうべき主人公ニュート・スキャマンダー。もう、清々しいレベルの変人だ。いちいち伏し目がちに喋ってアイコンタクトをとれない、魔法動物のことになったら見境なく絶叫する、魔法動物を武器として使いこなす。同じ動物マニアのムツゴロウさんよりタチが悪い。

 

ちょっと話は逸れるが、魔法と並列で語ることのできるファンタジックな力と言えば何があるだろうか。というのをふと考えてパッと思いついたのが忍術と錬金術だった。

日本で忍術をテーマにした作品と言えば、まあ僕たちの世代でいうと「NARUTO」で、錬金術なら「鋼の錬金術師」だろう。NARUTOハガレンとファンタスティック・ビーストを同系列で語るのもどうかとは思ったが、一番しっくりくる例えがこれしか思いつかなかったので大目に見てほしい。

NARUTOハガレンとファンタビ、決定的に違うのが今回最も声高に指摘したいところ、「能力に対する代償の有り無し」だ。

 

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例えばNARUTOであれば、登場人物が忍術を使う際には必ず「チャクラ」が必要とされている。いわば「気」のようなものだが、劇中にチャクラを必要としない忍術はほぼ出てこない。使おうとする忍術が強力なものになればなるほどチャクラの消費量も大きくなり、連発できないというリスクもある。ナルトの代表的な必殺技である螺旋丸は、ナルトが手の上でチャクラそのものを球状に固めて相手に押し付けるという、まさに力に対する代償を具現化した技になる。

一方鋼の錬金術師では、劇中でなにかと『1のものからは1しか生み出せない』という、「等価交換」の原則が持ち出される。物質を理解し、分解し、再構成するのが錬金術の基本とされていて、必然的に100gのものに錬金術を使っても100g以上のものは生み出せない。そもそも物語の目的が「等価交換の原則に背いたために失われた兄弟の体を取り戻す」という、ガチガチに代償めいたものだったりするのは周知の事実である。

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ところが問題のファンタスティック・ビーストである。いや、ハリー・ポッターのころからそういう雰囲気がなかったわけではないが、今回は特に気になってしまった。魔法を使うことによる、使用者へのデメリットが何一つないのだ。打ったら打っただけ得になる。「人間に見つかる」という不利益もあるにはあるが、天秤にかけたところで圧倒的にメリットのほうに傾くに違いない。見つかったところでオブリビエイトで忘れさせれば何の問題もないし、オブリビエイトをかけるにあたって使用者へのデメリットは何一つない。なんだこのバランス。チャクラも減らないし等価交換の原則もガン無視。ニュートが魂を鎧に定着させただけの存在になる日もそう遠くない。

極めつけには姿現しの乱用。もうあいつらコンビニ行くレベルでも姿現ししそう。だって、姿現しっていわばテレポートなわけだよ。時間と空間の原則を無視して移動することに対するデメリットが「難しい」ってだけだよ。いや、そりゃ難しいに決まってんだろ。その割にはぽんぽん便利な使い方しやがって。マツイ棒か。

 

ここまで読んでいる人がネタバレなど今更気にしないと思うのでざっくばらんに言うが、最終決戦後にぼろぼろに壊れた町並みを数人の魔法使いがちょいちょいと杖を振るだけで全部元通りになっていくあのシーン。このシーンに至ってはもうなんか悲しくなってしまった。なんっだあれ。結局杖の一振りで何もなかったことにできてしまうのか。じゃあもう、あんな熾烈な戦いなんてなくてもよかったぞ。

あのシーンを見てカタルシスを感じる人がいるのであれば、その人は多分プロアクションリプレイとかフル活用して、手持ちのポケモンを全部Lv100の伝説級で固めてジムリーダーをボッコボコにするのを生きがいとしているような小学5年生程度の感受性しか持ち合わせていないに違いない。そう言いきってしまってもいいぐらい安直で悲しいシーンだったと、個人的には思う。

結局何が言いたかったのかというと、魔法使いすぎたやつは死ねとまでは言わないが、なんかデメリットあってもいいんじゃないかってことだ。それぐらいの損得のバランスがないと世界観が成立しないんだ。魂割きすぎて見るも無残な風貌になったヴォルデモート見習え。損すら気にしないダークロードさすが。

 

ファンタジーにハマる人から言わせれば夢がないのかもしれないが、非現実的なファンタジーだからこそ「非現実の中の現実」だったり「非日常の中の日常」にちゃんと準拠してほしいなあ~と思う部分があまりにも多く、それと同じぐらいの比率でエディ・レッドメインの変わった人演技とダン・フォグラーのイケメンデブ加減にすげぇ~と思う部分があった。燃えよ!ピンポン

ちなみにファンタスティック・ビーストは全5部作予定らしい。強烈に残りの4部作に期待しつつ、途中でエディ・レッドメインが制作サイドとの何やかんやで降板したりしないことを祈っている。

吉田凛音を見て「かわいいね」としか言えない大人たちへ。

メラビアンの法則」というものがある。

人に教わった話では、「人が誰かを初対面で判断するときの判断要素のうち、5割以上は見た目などの視覚情報からくるものであり、聴覚情報などを含めると9割以上の割合で人間は他人の印象をノンバーバル情報に頼っている」というのがメラビアンの法則らしい。

小生この世に生を受けてたかだか20数年の若輩者だが、たかだが20数年の間にもいろんな出来事があったよ。彼女にむごい振られ方をして泣いたこともあるし、酒に酔って友達の家のベッドに向かって嘔吐ぶちかましたのに優しく介抱してもらって泣いたこともあるし、好きだった女の子に告白したけど玉砕して傷心ながらに大学内の川辺で夜にアコギぽろんぽろん弾いてたら苦情を言われて、深夜1時に泣きながら土下座したこともある。なんで理系はあんな遅くまで研究棟にいるんだ。てか泣いてばっかじゃねーか。

そんな紆余曲折あるはずの人生を9割以上見た目オンリーで判別されるだなんて馬鹿な話があってたまるか。何とか異を唱えたいと思って個人的にちゃんと調べてみたことがある。

 

ちゃんと調べてみたところ、メラビアンさんは全然そんなこと言ってなかったのだ。正しい意味でのメラビアンの法則とは、「『矛盾があるメッセージを受け取った際に』人が重要視する判断要素のうち、5割以上が視覚情報である」というものだった。

要は、スゲー元気なさそうなのに「楽しいね」って言ってるやつが本当に楽しいか楽しくないかを判別するとき、人が頼るのは「元気なさそう」という見た目の印象だということである。これをメラビアンさんが研究して法則化したのがメラビアンの法則だ。

おいおいおい待ってくれ、聞いてた話と全然違うぞ。俺は別に初対面の人に向かって肩落とし気味に「楽しいね」なんて言ったことないしそもそもじゃあ俺が教えてもらったのはどこの誰が提唱した法則だったんだ。嘘八百教えて人から金巻き上げてんじゃねえぞあの就活セミナーのおっさん。絶対来世で呪う。

 

ともあれ、こういう間違った情報を安易に流布させてしまう人たちのせいでというかおかげでというか、人間というものは人の第一印象をほぼ見た目に頼ることが多い。上で1000字弱連ねた文句のちゃぶ台を自分でひっくり返すようだが、得てして他人の印象とはそういうものだ。

ところが、見た目の印象に翻弄されるがあまり、もっと奥底にある輝きを見つけられないまま立ち去っていく人も多い。そういう人たちに集られているんじゃね?と若干心配になるのが、吉田凛音である。

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かわいい。間違いないんだよな。このかわいさ。剥製にして茶の間に飾りてぇ。

 

「かわいい」で終わってない?

いろんな界隈の人と吉田凛音の話をすると

「あぁ、りんねちゃん。最近話題になってるよね。かわいいし」

だいたいこういうニュアンスの返答が返ってくる。知り合いのドルヲタはたいてい年上の方ばかりなので「アッ、ソッスヨネ」と流すが、心の中ではマウント取ってボッコボコだよボッコボコ。キン肉バスターかけてバズーカで撃ってるよ。アンタどっかに語彙っていう概念置き忘れてきてんぞ。今日行った喫茶店とか本屋に電話してみたほうがいいよ。

確かにかわいいさ。だがこの子の曲をちゃんと聞いてみたことがあるか?

歌が上手いんだ。まずはそこまでちゃんと見てやってくれ。

上手いと言っても別に特徴的な声でもないし特別際立ったテクニックがあるわけでもない。この子の武器は「フラットな歌の上手さ」だ。

よく「これぐらいの子だったらカラオケ上手い子レベルでゴロゴロいるじゃん」っていう人もいる。そいつもマウントでボッコボコだ。よく考えてほしい。彼女はまだ15歳だ。中学3年生。これから待っている楽しい学校生活も青春も甘酸っぱい恋愛も、人生において1度きりの貴重な10代をほぼすべて捨てて、脂ぎったおじさんたちにワーキャー言われるだけのアイドルになってくれと言われて、首を縦に振る女子中学生が日本広しと言えど何人いるだろうか。そしてその子が歌が上手い可能性は何%だろうか。さらに彼女のようにルックスまでイケてる場合に絞るといよいよ何%だろうか。

70~80年代のアイドル全盛期なら露知らず、今はグループアイドル全盛期だ。そう考えると、これだけフラットな歌の上手さと大衆受けするルックスを兼ね備えた15歳のソロアイドルというのはもはや奇跡に近い。天文学的な確率の上に吉田凛音は存在している。あまりにも尊い。尊いなあ。

 

「かわいいし歌が上手い」で終わってない?

だが吉田凛音のすごいとこはまだまだある。いい加減メラビアンの法則は頭の片隅へ放り投げてくれ。

彼女の本当にすごいところ、それは音楽的な「器の深さ」にある。

これはソロ曲ではないが、さっきの曲とまるで別物だ。まあ作ってる人が違うから当たり前と言えば当たり前だが、それでもこんな全く違う色のフィールドに放り込まれてもちゃんと吉田凛音を保っている。

一緒に歌っているのは蒼波純という子。この子はこの子で色々おもしろいんだけど今回は割愛。赤と青を混ぜて紫になったんだなーっていうよりは、この紫は赤と青が混ざってできたものなんだなーって思う感じ。演繹的というか。吉田凛音蒼波純が混ざってるのにそれぞれの形をくっきり残して崩しすぎない。

このひねくれた歌詞にミニマルなリフを乗せた5拍子の曲。一体だれが作ったんだと思ったら案の定大森靖子とサクライケンタか。メンヘラと天才かけ合わせたらえらいことになるな。

 

そして極めつけはコイツだ。

とうとうここまで来たか。「真夏のBeeeeeeaM.」がはるかかなた遠くに感じるほど長い道のりを歩いてきたみたいだが、なおも吉田凛音の形をしている。しかもちゃんと韻を踏める可能性ができるだけ広がる、れっきとしたラップの歌い方をしている。

個人的に今アイドルラップ界隈で一番うまいし一番好きなのはリリスクのminanさんだったりするんだけどな。リリスクの新譜サイコーだったな。minanさん、紫の子ね。

 

リリスクの動画で締めてしまって言うのもなんだが、吉田凛音は何をやらせても上手くハマる。彼女の真のすごさはここにある。15歳という幼さゆえの部分もあるだろうが、それでもここまでいろんなことをやらせてもイメージが変わらないアイドルというのはそうそういない。吉田凛音だからこそどんなジャンルにも癖がなく当てはめることができるが、仮にもし似たようなことをやろうとしてBABYMETALが急にやたらテクノじみた曲調で「萌え萌え~」みたいな曲を持ってきたら多分全世界のメタラーは「無理だ!」と叫んだ後爆散して死ぬ。

歌も上手いしルックスもいいし音楽性の器も深い、そんな今最もアツいソロアイドル、吉田凛音。どうか表面的なところだけでなく、しっかり奥底までかみしめて味わってもらいたいアイドルである。あともう二度と嘘メラビアンの法則を流布する悪い大人が現れませんように。

なぜヲタクと繋がってしまうアイドルがいるんだろう?

アイドル(Idol)っていう言葉の意味をちゃんと調べてみたことがあるだろうか。

そもそも「アイドル=idol」とは、直訳で「偶像」という意味らしい。偶像というのは神様や仏様のような宗教的な崇拝対象を形どってつくられた像のことで、「偶像崇拝」とかっていう言葉があったりする。もっとも偶像崇拝(例えばキリスト様の銅像を崇拝したりすること)っていうのは平たく言うと「俺たちはキリスト様の存在を崇めてるんであって別に銅像とかそういうモノを崇めてる訳じゃねえ」っていう否定的な指摘の際に使われる言葉らしいけど。まあその辺はどうでもいい。

 

つまり言い様によっては、アイドルはすなわち偶像、崇拝対象にならないこともない。聖書=雑誌やネット記事の中でその存在を知り、CDで神のお告げを聴き、お布施としてグッズ代を支払い、ライブという定期的に行われる礼拝の場でご神体を崇め奉る。

なんだ、アイドルというものは、現代の神だったのか。実にありがたいものだ。これで℃-ute矢島舞美さんが「唯一神」と呼ばれている本当の理由が分かった気がする。

ところが近頃は、そんな神ともあろうアイドル様に対しておいそれと「繋がり」を求める不躾な一般教徒が大勢いるらしい。これは由々しき事態だ。

 

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今日、とある5人組アイドルグループの中心メンバー2名が、ヲタクとプライベートな繋がりを持っていたことが発覚し、結果的にグループを脱退するという発表があった。日ごろからTwitterに噛り付き牧師様神父様もビックリの情報収集能力で界隈の動向を探っている敬虔な教徒諸君なら、どこのグループの誰と誰のことを言っているのかは言わずもがな分かると思うので詳細は省く。

 

多くのヲタたちは傷つき悲しんでいることだろう。自分もその一人である。が、僕の怒りの矛先はその「繋がり」を求めたヲタたちへではなく、安易にヲタと繋がってしまったアイドル本人たちへ向いている。貴様らはもう神でも何でもない。神から離反した、いわば堕天使だ。いや、天使は神じゃないけど。もうどうでもいい。サタン。

 

そもそもアイドルグループのメンバーひとりひとりというものは、これはアイドルに限った話ではないが、「商品」なわけだ。例えばアンジュルムのメンバーは全員アップフロントプロモーションの「商品」であるし、でんぱ組.incのメンバーは全員秋葉原ディアステージの「商品」だ。アイドルにおけるプロ意識というのは、アイドル自らが「自分は商品なんだ」という自覚を持っているか否かというところに帰結する、と思う。

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そしてその商品でどういう風にビジネスを展開していくかというと、CDやグッズを出したりCDをリリースしたりもそうだが、昨今のアイドルにおいてはもっぱら接触商法が用いられる。つまりは握手会・チェキ会だ。場合によってはアイドルと一緒にバーベキューができる、バスツアーに行ける、旅行に一緒に行けたりする場合もあるらしい。俺もアイドルと旅行行きたい。できれば温泉。混浴。

 

アイドルひしめく2010年代、儲けの鍵を握るのはこの接触商法なはずだ。ヲタクたちはアイドルと接触したいがために同じCDを必要の有無に関わらず複数枚購入し、握手券やチェキ券、その他もろもろのイベント参加券を手にして嬉々として接触へ向かうのである。つまり、アイドルとヲタとの接触には金銭のやり取りが発生する。これにはCDやグッズのように原価はかからないし、高額なライブ会場のレンタル資金も必要ない。アイドルの身体とちょっとした人件費さえあれば生むことができるこの利益こそがアイドル側にとっては大きなビジネスチャンスであり、それがあるからこそ2016年現在のアイドル文化が発展してきたと言っても過言ではない。

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ところが、そういうことを全く考えず、自らの商品価値も把握できていない残念な「自称:アイドル」の女性たちが安易に走るのがヲタクとの「繋がり」だ。そりゃあさぞかし気分はいいだろう。元々は自分のファンなわけなんだから、求めることは何でもしてくれるだろう。そこそこのものだったら買ってもくれるだろう。それより何よりまぁ~~チヤホヤしてもらえることだろう。馬鹿かと。だからお前はサタンなんだと。

 

そんなことがまかり通ったらあらゆるアイドルの接触商法はただの無味乾燥な作業イベントと化してしまう。「別にお金払わなくても会えるし」っていうアイドルに、誰がわざわざ同じCDを何枚も買って会いに行こうと思う?

ヲタクがそういう接触イベントに行って実際にアイドルと会って話せる、接触できるのはせいぜい5秒~10秒程度だ。彼女たちのようなサタンには、真面目なヲタクがただ日頃の感謝と激励の言葉を5~10秒間伝えたいがためにいくらのお金と時間を使っているかをもう一度地獄で考えてほしい。地獄の長になるのはそれからでも遅くない。

 

実際、個人的にオフのアイドルとばったり出くわしたことが何回かあるのだが、本当のアイドルはオフの時に握手や写真撮影を求められても大抵が申し訳なさそうに断る。自分たちの「握手」や「一緒に撮る写真」に商品価値があることをちゃんと理解しているからだ。自分たちは握手や2ショットチェキでお金が稼げる存在だとちゃんとわかっている。それでも傷つけない程度に「イベントに来てくれたら握手できますんで!」とキャバ嬢の営業メールみたいなあまりにも鋭利な言葉をヲタの心に串刺してキラキラと立ち去ってしまう。本来はこれがアイドル、であるはずなんだ。泣くな俺。

 

考え方によっては、こういうのもアイドル戦国時代の弊害なのかもしれない。道行くそこそこかわいい女の子に「アイドルやってるんですか?」って冗談半分で聴いたら「はい」って言われるっていうのが冗談じゃなくリアルであり得る世の中になったからこそ、全員が全員プロ意識を持って活動できているとは決して言いきれない状況にもなってしまった。

いずれそういうサタン達は淘汰されていく運命にあるんだろうが、健全なアイドルだけになるのと同時に絶対数の減少でアイドル文化そのものが衰退していそうな気が薄々するのが非常に悲しい。

 

今回は繋がってしまったアイドル側に向けてのみあれこれと書いたが、本来は繋がろうとするヲタこそが最大の悪だ。彼奴らのせいで何の罪もない他のヲタたちがいたく傷つき悲しみのどん底に陥れられたことを思うと、やりきれない。全員出禁になったそうだが、それでも足りないぐらいだ。今後一生ノニジュースしか飲んじゃいけないみたいな罰則とか与えられないもんかね。いや、だめだ、最終的に健康になってしまう。

いずれにせよ、今後二度とアイドル界でこういう話が出てこないことを切に願うばかりだ。

そろそろ「GOGO DEMPA」について本気で考えてみよう。

この時期になると2016年のアイドル楽曲大賞のことばかり頭に浮かぶ。更新頻度が落ちたのは9割ぐらいそれのせいだ。嘘だ。ぶっちゃけ3割ぐらいだ。

 

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さて、でんぱ組.incのアルバム「GOGO DEMPA」が今年4月にリリースされてはや半年が経った。ヲタの間でかなり賛否両論物議をかもしたこのアルバムの意義について、今年のうちにちゃんと本気で考えてみることにしたい。

 

「これじゃねえ」

リリース当初はあちらこちらからこんな声が飛び交っていた。じゃあ一体どれなんだ。

おそらく敬虔なでんぱ組信者であれば、いわゆる彼女たちの十八番である電波ソングモリモリの飛び道具的な一枚を期待していたに違いない。自分も正直その一人だった。

なまじ前作「WWDD」で『NEO JAPONISM』のようなあまりにも射程距離の長すぎる飛び道具をかましてきただけにその期待は大きかった。過去振り返ってみても、やっぱりでんぱ組は『でんぱれーどJAPAN』や『でんでんぱっしょん』みたいな早口すぎて何言ってるのかわからない or 単純にコンセプトの意味が分からない、的な絶妙な振り切れ加減を強力な武器にしてきたのだ。

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そこで今一度「GOGO DEMPA」を聴いてみると、見事にそういう曲が1曲もない。『破! to the Future』みたいにシングルカットされた曲の中には多少片鱗を残したものの、新緑されたアルバム曲はそのほとんどが今までのでんぱ組のイメージとはかけ離れたものが多かった。というより、今まででんぱ組がやってこなかったことをいっぺんにこのアルバムでやってしまった感があった。

EDM、ジャズ、ファンク、クランチサウンドの激爽やかポップス、ブラスサウンドの多用でちょっと泣かせにかかっている感すらある。もがピンもめちゃめちゃ歌上手くなってるし。武道館のもがソロが贔屓目に見てもあまりに下手で可哀そうになってたあの頃が懐かしいわ。俺の青春を返せ。

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それまでのアルバム曲なんかそれだけ抽出して流してたら無意識にサイリウムぶんぶん振り回すマンになるまで洗脳されきってしまいそうな曲ばっかりだったのに、今回のアルバム曲は午前10時ぐらいのすがすがしさに包まれたおしゃれなカフェで流してたほうがしっくりくる。それぐらい毛色が違う。だって朝10時のカフェで「絶好調」連呼する曲流れてたらさすがに絶不調になるでしょ?

 

「代々木大実験」との近似性

ちょっと話は逸れるが、去年の2月に代々木第一体育館で開催された「でんぱーりーナイト de パーリー」について。あの公演はMARQUEEの編集長に「代々木大実験」と言わしめた。それまででんぱ組がやらなかったライブ演出をあれやこれやと盛り込んだ公演だったからである。自分もこのライブは見に行ったが、まず毎回恒例なはずのメンバーの自己紹介がないことに驚愕したのをよく覚えている。MCも含め全編通して一つの物語として作り上げていて、ライブにストーリー性を持たせる、「ファンタジック」という新しいでんぱ組のカタチを提示するきっかけになった。

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あれが「代々木大実験」ならば、「GOGO DEMPA」はさしずめ「GOGO大実験」とでもいうべきか。その実験の度合いが「これからこういう感じもやっていきますよ」っていう断定の段階なのか、「こういうのやってみたんですけどどう?」っていうお伺いの段階なのかはわからないが多分前者な気がする。

 

ライチュウになっても可愛がれるのか」問題

現メンバーでの活動が5年目の節目の年。俺たちが手塩にかけてかわいがったでんぱ組は、新しい形へと少しずつ変化しながらその枠を超えていこうとしている。よく考えてみれば「WWDD」の『イロドリセカイ』あたりで既にその兆候はあったような気もしてきた。現状維持は微減を招くとはよく言うが、でんぱ組も「電波ソングによる現状維持」から「新機軸による成長と拡大」へと舵を切った。「GOGO DEMPA」はその転換点として今後大きく取沙汰される作品になる、はず。

 

なんか書いてて、ポケモン思い出したな。初めてポケモンをやったとき、トキワの森で血眼になって捕まえて手塩にかけて育てたピカチュウに勢いで雷の石を使ってライチュウに進化させてしまった時の「えっ、なにこいつ、こんなやつ知らねえ」感。ただ、ライチュウ単体で見ればそこそこ可愛いはずなのに、より可愛かったはずのピカチュウ時代を知ってしまっているからこそ生まれてしまう「これじゃねえ」という感情。言わずもがなライチュウになってからは育てることをしなくなった。

幼少期の僕にあったこの感情は、子供心ながらのものだと信じたい。願わくば2~3年後、僕がでんぱ組を見て「えっ、なにこいつ、こんなやつ知らねえ」と思ってマサキのボックスに突っ込んでしまわないことを切に祈る。

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そういえば、ピカチュウ版のピカチュウは進化させられないんだっけ。俺も赤じゃなくてそっちやっとけばよかったな。

BiSが始まった瞬間に聞こえた、BiSが終わる音。

もうだいぶ前のことになるが、中心メンバーであるプー・ルイを含む5人で、BiSが再結成された。その瞬間僕の中で「BiSは終わった」という想いがふつふつと湧き上がってきた。

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BiSについては、このブログの中でも再三記事にしているが、このブログはありがたいことに全くアイドルに興味がない人の目にも触れる機会が多いため、今一度「BiS」に関して簡単に振り返っておきたいと思う。

まずBiSは、基本コンセプト的にはアイドルではない。なんか誰もが忘れていそうな設定だが、BiSは「Brand-new idol Society(新生アイドル研究会)」の略称で、彼女たちはアイドルを研究し、アイドルになろうとする、アイドルになりたい女の子たちである。そのため根本的にBiSはアイドルという枠組みの中には入らないはずだが、まあその辺をやおら追及するのも今となっては無粋だ。

いっぱしのアイドルグループのくせにPVで全裸になったり、スクール水着で観客席にダイブしたり、客席に向かって鳥の臓物や生の麺を投げ込んだりという奇妙奇天烈で摩訶不思議でホンワカパッパなパフォーマンスが一部のアウトローアイドルヲタ達にクリーンヒットし、なんやかんやで最終的には地下アイドルから横アリワンマンまで登りつめた、それがBiS。

どれだけBiSがハチャメチャかというのは、この動画を見てもらえればわかると思う。厳密にはBiSじゃなくてBiS階段っていうユニットだけど。

最初期からBiSの中心にいたのは、リーダーでもあるプー・ルイとマネージャーの渡辺淳之介である。BiSはこの2人によってつくられ、一度なくなり、そして今年復活した。

 

 

僕にはこの再結成の理由が未だにわからない。

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これは個人的な意見でしかないけど、「伝説になった」として終わったものをもう一度始める理由が僕には一つも思いつかない。オリジナルメンバーはプー・ルイのみ、他の4名は全員オーディションで選出した、いわば素人だ。

「BiS」という栄光の看板にすがっているわけでは決してないと思うし、さすがにプー・ルイがそんなダサいことしないだろうとも思いつつ、今回の再結成、俺に言わせりゃ、最高にダサい。ダサすぎる。マイナスのほうのダサさだ。ヤバいぞ。

例えるならば、何かがきっかけでX JAPANが解散してしまったとして、TOSHIがボーカルで残りのパートを全員アマチュアから拾ってきて「X JAPAN」というバンド名でXのコピーバンドをやるようなもんだ。書いてて寒気がしてきた。俺の想像上だとしてもTOSHIにそんなダサいことさせて本当ごめん。例え話だ。許せ。

どうだろうか。Xのファンがこれを見たらどう思うだろうか?「そんなもんはX JAPANじゃねぇ!やるんならあの世からhide引きずりだしてこいやオラァ!」と胸倉掴んで凄むに違いない。きっとその時彼の背後でBGMとしてかかっているのはRusty Nailだ。

 

アイドル界における過激で奇抜なパフォーマンスのパイオニアとしてBiSは持ち上げられていたがそれも今や昔。BiSの出現以降に出現したアイドルがすでにその流れは一通り踏襲してしまった。元BiSメンバーが所属するBILLIE IDLE®、GANG PARADE、Maison book girlやBPM15Q、寺嶋由芙に至るまで、もう彼女たちは「元BiS」という看板に頼る必要は全くなくなった。BiSHなんか、初期こそ糞尿ぶちまけられたりしてたけど、今となってはもうBiSみたいにハチャメチャなことやんなくても普通にいい曲で良いライブしちゃうんだもん。

ちなみにこの動画、僕が今まで見たアイドルの野音の中でダントツに泣ける動画だった。落ちサビのアイナ(ハスキーボイスの子)、泣きながらの歌唱がヤバい。

 

誤解の無いように付記しておくが僕はBiSが大好きだ。曲もいい、パフォーマンスも面白い。日々進化し続けるアイドル界に大きな一石を投じたBiSの功績こそ後世まで脈々と受け継がれていくべきものだと心から思う。

だからこそ、安易にBiSの看板で商売していいのか?本当に大丈夫か?以前と同じやり方はもう通用しない。新しいやり方で、新しいメンバーで、新しい曲で、一からやって横浜アリーナワンマンを超えるところまで行けるのか?今のままだと、どうにもやれてTDCホールぐらいのキャパでぽつぽつワンマンが打てる程度にしかならなそうで、非常に心配だ。

 

プー・ルイといえばエゴサーチの鬼なので、もしかしたら何かしら経由でこの記事を目にすることがあるかもしれない。現BiSメンバー然り。どうか、片田舎に住むただのアイドルヲタクの戯言だと思って聞き流してくれ。そして、2年後の俺に、あんなこと言わなければよかった、俺が余計な心配なんかしなくてもBiSはやっぱりやってくれるグループだった、と思わせてくれ。頼む。


絶対に、世界変えてくれ。

平成2期ライダー。お前たちに言いたいことが2つだけある

2つだけだ。これでも結構絞ったぞ。ホントは35個ぐらいあるけどな。断腸の思いで33個切ったんだから2つだけよく聞いてけ。先に言っとくけど相当長いからな。

 

ちなみに平成ライダー1期は2000年のクウガから2009年のディケイドまでの10作。2期は続くWから今のエグゼイドまでの今のところ8作。

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エグゼイドね。見てる?2016年現在の子供がメインターゲットな割にはやたら8bitっぽい効果音やドット絵っぽい演出を多用してるあたり、ファミコン世代のアラフォーお父さんをガチガチに取り込んでいこうというわざとらしさを痛いほど感じさせる。今の子供って思ってるほどカセットフーフーしねえから。かろうじて3DS。あいつら隙あらばマイクロファイバーで出来た謎の布でディスク拭きだすから。

ちなみにエグゼイドは、3話現在今のところ凡作。

 

1. 変身ポーズが長い。そしてダサい。

 しばしば仮面ライダーの変身ポーズは非現実的だと揶揄されてきた。「そんなポーズ取ってる間に攻撃されたらどうすんの?」とか、ゴチャゴチャうるせえ。「そんなポーズ取ってる間に攻撃されたらどうすんの?って指摘してる間にお前の実家に北朝鮮からのミサイル飛んできたらどうすんの?」って言ってるぐらい現実味のない指摘だからなそれ。テレビマンのご都合主義ナメんな。

 

それにしても最近の変身ポーズは長い。そしてダサい。特に酷いのがここ2年間のドライブとゴースト。ドライブの変身はあのシフトカーをカチャってやるところで完結してんだよ。何そのあとの余計な動き。あとゴースト。レバーを引いてから押すまでの間にあるあの手首クルクルと組んでる印は一体なんだ。納豆の糸でも巻いてんのか。

いや、わかる。変身ポーズというものはそもそもが無駄な動きだ。結局フラグさえ立ててしまえばあとは何もする必要がないのが変身という作業。だが特にこの2人のライダーの変身ポーズは無駄に無駄を掛け合わせてさらに別の無駄を足して無駄が出来上がったという絶妙な無駄さ加減。あまりに不毛。ちなみに陰に隠れてるけどマッハとかスペクターとかのサブライダーも無駄な動き酷いからな。他人事だと思ってんなよ。

 

ただ平成2期ライダーのすべてがそうというわけではない。一番カッコいいのはオーズ。オーズの変身ポーズは、「メダルをセットする→ドライバーを傾ける→スキャンする」という純粋に変身する為に必要な工程をとっているだけのポーズだ。実に無駄がない。無駄のなさで言えば時点でウィザードもなかなかの出来。テーマがテーマだからある程度かっこつけても許されるというところが多少ズルい。

 

ちなみに今までの仮面ライダーで最も無駄な動きの多い変身ポーズは多分BLACK RX。こいつがタチ悪いのは変身ポーズだけじゃなくて変身後の自己紹介も無駄に長い。そして無駄な動きが多い。そして「俺は太陽の子!」と謎の口上を述べる。歌舞伎役者かお前は。人の子だろ。そのくせここ一番という場面ではそのポーズを完全に無視して「変身!」と叫ぶだけで変身したりする。潔い、潔いぞ南光太郎

 

ちょっと横道にそれすぎてしまったが、要するにそういうことだ。わかってもらえたと思う。わかってもらえたことにして次に行こう。

 

 

2. 安易に「レジェンド」を使いすぎ。

「レジェンド」って言葉の意味、知ってる?例えるならば、矢沢。

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なんだか最近はつい去年のライダーでさえ「レジェンド」扱いになるらしい。片腹痛い。痛すぎる。去年のライダーが矢沢クラス?それ、俺はいいんだけど、YAZAWAがなんて言うかな?

時を行き来できる電王や過去ライダーの世界を巡るディケイドという便利な存在のおかげで、今や過去のライダーがリバイブ登場することは決して珍しいことではなくなってしまった。なんか最近では1号ライダー出しとけば胸アツな展開になるんじゃね?とかってもう1号のバーゲンセール。1号魂とかギャグでも笑えない。平成2期はグッズ展開の手広さが異常だけど、全部そこに結び付けちゃってもう守銭奴以外の何ものでもない。そんなに東映もテレ朝も資金事情厳しいわけ?そんな東映やテレ朝にお勤めしてる人の年俸、矢沢の2秒。

 

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そもそもそんな安易に過去ライダー出てきて見てるほうが嬉しいと思うの?マジで謎。まあ俺がマイノリティなのは否めないが、ゴーストの過去ライダーラッシュなんかもう唖然としちゃって。挙句の果てには「平成魂」とか出しちゃって。人の力ばっか頼ってんじゃねえよ。まずはお前が命燃やしきってからにしろよ。あ、燃やす命がなかったのか。

今年もどうせレジェンドライダーガシャットとか出すんでしょ。あんまりネタバレみるのは好きじゃないから意図的にそういう玩具情報みたいなのは避けてるけどまず間違いなく出るわ。あと2スロット同時差しで変身する強化フォーム用ガシャットとか。これも絶対出る。

その辺はまあいいとして、安易にたかが去年のライダーをレジェンド扱いしてホイホイ映画やテレビに出さないでほしい。安売りは早死にの元だぞ。あといくらレジェンドだからって別に要所でもないところで平気な顔して1号を使わないでほしい。藤岡弘ももう70だから。ゆっくりコーヒーぐらい淹れさせてあげてよ。

 

 

とにかく話が脇道という脇道に逸れまくったが、要は最近の仮面ライダーには言いたいことが多すぎる。別に手広い商品展開をするなとは言わないし、ホイホイ過去ライダーを出すなとも言わない。ただ、「要所」を選んでくれと。それだけは強く願う。

ただ無駄な変身ポーズは一切認めない。来年あたり木場さんが変身するオーガみたいなクールで悲しみと怒りに満ちたライダーやってくれないか。

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