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楽曲評論家クソDDのアイドル三十七房

アイドルの話しかしません。

いくらファンタジーの世界でも、無償の能力っていかがなものか問題。

ハリー・ポッター」の世界に、「アロホモラ」という呪文がある。

なんて素敵な呪文だろう。杖を振ってこの呪文さえ唱えれば鍵のかかった扉を開けられるらしい。あまりにも汎用性が高すぎる。しかもこの呪文、ホグワーツの1年生レベルで簡単に使える入門用のような呪文。ホグワーツは空き巣とピッキング魔の養成所だったのかもしれない。仮に目撃者がいたとしても「オブリビエイト」で忘れさせて、反撃してくるようであれば「ステューピファイ」。なんてこった。ただの死喰い人だ。

 

といったように、現実世界では100%起こりえない現象を起こすことができるのがファンタジーの世界の魅力だ。だから、ファンタジーの世界の中で起こっていることに対してそんなことあるわけねえだの現実味がねえだのああだこうだと講釈を垂れることほど野暮ったいことはないという自覚もあるのだが、それでもどうしたってこれだけ言わせてほしい。

ファンタジーがなんぼのもんかは知らないが、どんな状況下であっても、「無償の能力」なんてものはあり得ないんだ。絶対。

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「ファンタスティック・ビースト 魔法使いの旅」を見た。

基本的にはおもしろい映画だった。上であれやこれやとファンタジーに対して大風呂敷を広げた割に、僕は「ハリー・ポッター」シリーズが大好きだし、ファンタジーの世界観も大好きだ。

ハリー・ポッターとは全然違う、いわば魔法動物マニアとでもいうべき主人公ニュート・スキャマンダー。もう、清々しいレベルの変人だ。いちいち伏し目がちに喋ってアイコンタクトをとれない、魔法動物のことになったら見境なく絶叫する、魔法動物を武器として使いこなす。同じ動物マニアのムツゴロウさんよりタチが悪い。

 

ちょっと話は逸れるが、魔法と並列で語ることのできるファンタジックな力と言えば何があるだろうか。というのをふと考えてパッと思いついたのが忍術と錬金術だった。

日本で忍術をテーマにした作品と言えば、まあ僕たちの世代でいうと「NARUTO」で、錬金術なら「鋼の錬金術師」だろう。NARUTOハガレンとファンタスティック・ビーストを同系列で語るのもどうかとは思ったが、一番しっくりくる例えがこれしか思いつかなかったので大目に見てほしい。

NARUTOハガレンとファンタビ、決定的に違うのが今回最も声高に指摘したいところ、「能力に対する代償の有り無し」だ。

 

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例えばNARUTOであれば、登場人物が忍術を使う際には必ず「チャクラ」が必要とされている。いわば「気」のようなものだが、劇中にチャクラを必要としない忍術はほぼ出てこない。使おうとする忍術が強力なものになればなるほどチャクラの消費量も大きくなり、連発できないというリスクもある。ナルトの代表的な必殺技である螺旋丸は、ナルトが手の上でチャクラそのものを球状に固めて相手に押し付けるという、まさに力に対する代償を具現化した技になる。

一方鋼の錬金術師では、劇中でなにかと『1のものからは1しか生み出せない』という、「等価交換」の原則が持ち出される。物質を理解し、分解し、再構成するのが錬金術の基本とされていて、必然的に100gのものに錬金術を使っても100g以上のものは生み出せない。そもそも物語の目的が「等価交換の原則に背いたために失われた兄弟の体を取り戻す」という、ガチガチに代償めいたものだったりするのは周知の事実である。

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ところが問題のファンタスティック・ビーストである。いや、ハリー・ポッターのころからそういう雰囲気がなかったわけではないが、今回は特に気になってしまった。魔法を使うことによる、使用者へのデメリットが何一つないのだ。打ったら打っただけ得になる。「人間に見つかる」という不利益もあるにはあるが、天秤にかけたところで圧倒的にメリットのほうに傾くに違いない。見つかったところでオブリビエイトで忘れさせれば何の問題もないし、オブリビエイトをかけるにあたって使用者へのデメリットは何一つない。なんだこのバランス。チャクラも減らないし等価交換の原則もガン無視。ニュートが魂を鎧に定着させただけの存在になる日もそう遠くない。

極めつけには姿現しの乱用。もうあいつらコンビニ行くレベルでも姿現ししそう。だって、姿現しっていわばテレポートなわけだよ。時間と空間の原則を無視して移動することに対するデメリットが「難しい」ってだけだよ。いや、そりゃ難しいに決まってんだろ。その割にはぽんぽん便利な使い方しやがって。マツイ棒か。

 

ここまで読んでいる人がネタバレなど今更気にしないと思うのでざっくばらんに言うが、最終決戦後にぼろぼろに壊れた町並みを数人の魔法使いがちょいちょいと杖を振るだけで全部元通りになっていくあのシーン。このシーンに至ってはもうなんか悲しくなってしまった。なんっだあれ。結局杖の一振りで何もなかったことにできてしまうのか。じゃあもう、あんな熾烈な戦いなんてなくてもよかったぞ。

あのシーンを見てカタルシスを感じる人がいるのであれば、その人は多分プロアクションリプレイとかフル活用して、手持ちのポケモンを全部Lv100の伝説級で固めてジムリーダーをボッコボコにするのを生きがいとしているような小学5年生程度の感受性しか持ち合わせていないに違いない。そう言いきってしまってもいいぐらい安直で悲しいシーンだったと、個人的には思う。

結局何が言いたかったのかというと、魔法使いすぎたやつは死ねとまでは言わないが、なんかデメリットあってもいいんじゃないかってことだ。それぐらいの損得のバランスがないと世界観が成立しないんだ。魂割きすぎて見るも無残な風貌になったヴォルデモート見習え。損すら気にしないダークロードさすが。

 

ファンタジーにハマる人から言わせれば夢がないのかもしれないが、非現実的なファンタジーだからこそ「非現実の中の現実」だったり「非日常の中の日常」にちゃんと準拠してほしいなあ~と思う部分があまりにも多く、それと同じぐらいの比率でエディ・レッドメインの変わった人演技とダン・フォグラーのイケメンデブ加減にすげぇ~と思う部分があった。燃えよ!ピンポン

ちなみにファンタスティック・ビーストは全5部作予定らしい。強烈に残りの4部作に期待しつつ、途中でエディ・レッドメインが制作サイドとの何やかんやで降板したりしないことを祈っている。