楽曲評論家クソDDのアイドル三十七房

アイドルの話しかしません。

そろそろ「GOGO DEMPA」について本気で考えてみよう。

この時期になると2016年のアイドル楽曲大賞のことばかり頭に浮かぶ。更新頻度が落ちたのは9割ぐらいそれのせいだ。嘘だ。ぶっちゃけ3割ぐらいだ。

 

f:id:b115058:20161115002531j:plain

さて、でんぱ組.incのアルバム「GOGO DEMPA」が今年4月にリリースされてはや半年が経った。ヲタの間でかなり賛否両論物議をかもしたこのアルバムの意義について、今年のうちにちゃんと本気で考えてみることにしたい。

 

「これじゃねえ」

リリース当初はあちらこちらからこんな声が飛び交っていた。じゃあ一体どれなんだ。

おそらく敬虔なでんぱ組信者であれば、いわゆる彼女たちの十八番である電波ソングモリモリの飛び道具的な一枚を期待していたに違いない。自分も正直その一人だった。

なまじ前作「WWDD」で『NEO JAPONISM』のようなあまりにも射程距離の長すぎる飛び道具をかましてきただけにその期待は大きかった。過去振り返ってみても、やっぱりでんぱ組は『でんぱれーどJAPAN』や『でんでんぱっしょん』みたいな早口すぎて何言ってるのかわからない or 単純にコンセプトの意味が分からない、的な絶妙な振り切れ加減を強力な武器にしてきたのだ。

f:id:b115058:20161115003835j:plain

そこで今一度「GOGO DEMPA」を聴いてみると、見事にそういう曲が1曲もない。『破! to the Future』みたいにシングルカットされた曲の中には多少片鱗を残したものの、新緑されたアルバム曲はそのほとんどが今までのでんぱ組のイメージとはかけ離れたものが多かった。というより、今まででんぱ組がやってこなかったことをいっぺんにこのアルバムでやってしまった感があった。

EDM、ジャズ、ファンク、クランチサウンドの激爽やかポップス、ブラスサウンドの多用でちょっと泣かせにかかっている感すらある。もがピンもめちゃめちゃ歌上手くなってるし。武道館のもがソロが贔屓目に見てもあまりに下手で可哀そうになってたあの頃が懐かしいわ。俺の青春を返せ。

f:id:b115058:20161115003913j:plain

それまでのアルバム曲なんかそれだけ抽出して流してたら無意識にサイリウムぶんぶん振り回すマンになるまで洗脳されきってしまいそうな曲ばっかりだったのに、今回のアルバム曲は午前10時ぐらいのすがすがしさに包まれたおしゃれなカフェで流してたほうがしっくりくる。それぐらい毛色が違う。だって朝10時のカフェで「絶好調」連呼する曲流れてたらさすがに絶不調になるでしょ?

 

「代々木大実験」との近似性

ちょっと話は逸れるが、去年の2月に代々木第一体育館で開催された「でんぱーりーナイト de パーリー」について。あの公演はMARQUEEの編集長に「代々木大実験」と言わしめた。それまででんぱ組がやらなかったライブ演出をあれやこれやと盛り込んだ公演だったからである。自分もこのライブは見に行ったが、まず毎回恒例なはずのメンバーの自己紹介がないことに驚愕したのをよく覚えている。MCも含め全編通して一つの物語として作り上げていて、ライブにストーリー性を持たせる、「ファンタジック」という新しいでんぱ組のカタチを提示するきっかけになった。

f:id:b115058:20161115002803j:plain

あれが「代々木大実験」ならば、「GOGO DEMPA」はさしずめ「GOGO大実験」とでもいうべきか。その実験の度合いが「これからこういう感じもやっていきますよ」っていう断定の段階なのか、「こういうのやってみたんですけどどう?」っていうお伺いの段階なのかはわからないが多分前者な気がする。

 

ライチュウになっても可愛がれるのか」問題

現メンバーでの活動が5年目の節目の年。俺たちが手塩にかけてかわいがったでんぱ組は、新しい形へと少しずつ変化しながらその枠を超えていこうとしている。よく考えてみれば「WWDD」の『イロドリセカイ』あたりで既にその兆候はあったような気もしてきた。現状維持は微減を招くとはよく言うが、でんぱ組も「電波ソングによる現状維持」から「新機軸による成長と拡大」へと舵を切った。「GOGO DEMPA」はその転換点として今後大きく取沙汰される作品になる、はず。

 

なんか書いてて、ポケモン思い出したな。初めてポケモンをやったとき、トキワの森で血眼になって捕まえて手塩にかけて育てたピカチュウに勢いで雷の石を使ってライチュウに進化させてしまった時の「えっ、なにこいつ、こんなやつ知らねえ」感。ただ、ライチュウ単体で見ればそこそこ可愛いはずなのに、より可愛かったはずのピカチュウ時代を知ってしまっているからこそ生まれてしまう「これじゃねえ」という感情。言わずもがなライチュウになってからは育てることをしなくなった。

幼少期の僕にあったこの感情は、子供心ながらのものだと信じたい。願わくば2~3年後、僕がでんぱ組を見て「えっ、なにこいつ、こんなやつ知らねえ」と思ってマサキのボックスに突っ込んでしまわないことを切に祈る。

f:id:b115058:20161115003713j:plain

そういえば、ピカチュウ版のピカチュウは進化させられないんだっけ。俺も赤じゃなくてそっちやっとけばよかったな。