楽曲評論家クソDDのアイドル三十七房

アイドルの話しかしません。

2017年も聴きたい、2016年の名盤5選

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2016年のアイドル楽曲大賞の結果発表があり、トップ10に欅坂46が3曲もランクインしてくるという超絶主人公展開にちょっと胸焼けがしている今日この頃。まー貫禄あるなというかいくら何でもデビューした年でいきなりこんな事態になるとはだれも想像してなかっただろう。

サイレントマジョリティー」はどっかに食い込んでくるだろうとは思ってたけど「二人セゾン」まで3位に入ってくるとはまさに驚異的。ついこないだリリースされたばっかりじゃないか。27歳で遅咲きデビューの力士が九州場所で全勝優勝みたいな話だぞ。まさかの幕下付け出しデビュー。智ノ花か。絶対NEWS ZEROがほっとかねーよ。

個人的な楽曲大賞をトップ10で考えてもみたがどうやっても絞り込めなかった。マジで2,3週間それのことで頭いっぱいにしてみても決められなかった。お母さんが晩ご飯の献立決めるときの気持ちがちょっとだけ分かった気がする。あっちを立てればこっちが立たず。メンチもいいしバーグもいい。緑黄色野菜も取り入れないと…

 

そんなわけで、今回は僕が考える「2017年も聴きたい、2016年の名盤」をピックアップしていこうかと思う。こういうときクローズアップされるのは一撃必殺のライブ映えする曲だったりするパターンが多いけど、往々にしてそういう曲はヘビロテしていると飽きる。スルメも美味いが飽きがくる。良い語呂だ。火曜10時から新垣結衣主演でドラマ化してみたい語感だ。

本当に染みる曲っていうのは時間が経ってから聴いても色褪せがない。むしろ時間が経った後のほうが、初めて聴いた時の情景とか心象風景がリアルに焼き付いている分余計染みるもんだ。そういう曲は誰にでもあると思う。僕の場合BUMP OF CHICKENの「オンリーロンリーグローリー」を聴くと、未だに小学生のころ家族旅行で行った香川県のホテルで過ごした夜を思い出す。行きに買ったばかりの「ユグドラシル」とポータブルCDプレイヤーを握りしめて聴いていたことをついさっきのように思い出せる。

というわけで、「今年も聴きたい、去年のアルバム」をチョイスしてみたい。

 

ティー・フォー・スリー - Negicco

去年出たNegicco3枚目のアルバム。

1回紹介したこともあるけど、これぞまさにウェルメイド。ソウルやファンク、ジャズにフュージョン、あらゆるジャンルの楽曲テイストを取り入れつつもそれをNegiccoカラーに染め上げてしまっている名盤中の名盤。

これは多分誰もにうなずいてもらえるチョイスだと思うぞ。2017年どころか今後10年20年経っても視聴に堪えうるクオリティの1枚。アイドルヲタクでない人でも、音楽が多少なりとも好きであれば持っておいて損はない。

 

KiLLER BiSH - BiSH

2016年下半期はまさにBiSHのものだったと言えるはず。

この「オーケストラ」がMV化・音源化されてからというもの、未だにこの曲の話をしている人が絶えない。緻密かつ精巧に作り上げられたクラシカルサウンドと松隈サウンドのアンサンブルの美しさ、そこに上乗せされるアイナ・ジ・エンドの声。この曲に心惹かれ、BiSHに入ってきた新規も少なくない。

アイドルヲタクは何かと「今日の現場優勝!」とか「夢アド優勝だったわ」とか「優勝」という単語を使いたがるが、これこそまさに「優勝」というワードを使うに相応しい曲だと思う。

とかくこの「オーケストラ」に注目は一点集中しがちだが、「KiLLER BiSH」には捨て曲がマジでない。13曲全部マジ。本当本気。1周回ってこれこそがBiSHのパンクスなんだろう。2月の福岡行きます。

 

穴空 - 私立恵比寿中学

ここ最近めっきりエビ中にハマっているから上げるわけでもなく、単純に素晴らしい名盤だと思う。ハマるまでノーマークだった俺こそがギルティ。

「穴空」と書いて「アナーキー」と読む。言い得てまさに妙、これぞ無秩序。とにかく畑の違ういろんなトラックメイカーに提供してもらった曲で多種多様な表情を見せる。リードトラックの「ゼッテーアナーキー」を提供したのがUNICORNのABEDONというのもなんか絶妙にツボを押される。イントロだけ聞いたら完全に00年代のユニコーンなんだけどな。まんま「WAO!」じゃねーか。

 個人的には「ポップコーントーン」や「お願いジーザス」が好き。ちなみに前者はたむらぱんこと田村歩美さん提供、後者はフジファブリックの加藤さん提供。畑が違いすぎる。二期作にも程があるぞ。年に2回米の収穫ができそう。

 

アワー・ソングス - アイドルネッサンス

何回観ても美しい、このPV。

今年は飛躍の1年になったアイドルネッサンス。新メンバーが2名加入して8名になったり、妹分のグループ「AIS」が出来たりとせわしない1年だったように思う。このアルバムはまだ新メンバーが加入する前に出たものだが、これは今後一生聴けるだろ。いつ聞いても新鮮さがあるというか瑞々しさがあるというか。

今年はアイルネ初のオリジナル曲のリリースも予定されている。しかもトラックメイカーはBaseBallBearの小出さん。マジで俺のために作られるような曲。

新メンバー2人もやっとアイルネ本隊の雰囲気に慣れ始めたような感じがするので、今年も要注目。とにかく2枚目のアルバムはやく欲しいなー。去年夏以降新作のリリースがなかったので早めに。早めにね。

 

guidebook - lyrical school

度々ここでも話題に出すリリスク。今年の2月をもって現体制は解体、初期メンバー3名が脱退した後残った2人を中心に新体制で活動されることが発表された。

僕にとって拠り所たるアイドルって、寺嶋由芙だったり℃-uteだったり、リリスクだったりするところがあるのでこれは結構キツい。こないだ「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」っていう映画を観たんだけどなんかそれを見終わった時と同じ感情。得も言われぬ寂しさ。いろいろ思ったことはあるはずなのに結局「寂しい」という語彙でしか表現できない自分の語彙力喪失っぷりを客観視させられる罰ゲームじみた感情。

いやでも、本当良いアルバム。前作「SPOT」のときにうわーヤベエの出してきたなリリスク!って思ったけど負けじとも劣らず。「マジックアワー」が「ワンダーグラウンド」とタメを張ってるヤバさ。アルバムアートワークも凝ってて素晴らしい出来。

 

 

という個人的な5選。アイドル聴いてみたいけど何から手つければいいのかわからない!っていう方々の入り口にでも僭越ながらなれば幸いです。

ちなみに僕が選ぶ2016年アイドル楽曲大賞は、これです。

観客席に僕が映ってました。友人に指摘されて気が付きました。

見つけた方には金一封差し上げます。

『リップヴァンウィンクルの花嫁』を見てない人は2016年何してたの?

年に1本はこういう映画あるんですよ。2015年でいうと「シェフ ~3つ星フードトラック始めました~」とか。思い出しただけでキューバサンド食べながらジオタグ辿りたくなるわ。

 

その内のひとつが2016年は「貞子vs伽椰子」とかになるんだろうなーと個人的には思う。これについては以前ちゃんと話をしたつもりなのでこっちを読んでほしい。

これと同じぐらい僕が推したいのが、「リップヴァンウィンクルの花嫁」。

2016年の映画といえば、まあ誰が何と言おうと「君の名は。」を上げる人が大多数だろう。結局去年のうちに僕も3回見たし、別に全然面白い映画だと思うし単純にあれだけ売れたことそのものがすごい。

だって「もののけ姫」より売れたんだよこの映画。瀧くんと三葉の2人だけであっという間にサンを救えるレベル。アシタカじゃなくて瀧くんのプロポーズ受けたほうがサンも将来設計しやすいと思うぞ。腕に呪いを飼う男より新宿在住のイマドキ男子瀧くんのほうが絶対周りの女子からも「え~~いいな~~」って言ってもらえるよ。

 

しかし「君の名は。」が十分売れていてしかも面白い映画だということはもう大体の人が知っているので今更ここでプッシュしたところであんまり意味がないと思う。それよりも黒木華岩井俊二監督の素晴らしさを僕は声を大にして伝えたい。

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結婚式の代理出席をなんでも屋に頼んだり浮気の罪を旦那になすりつけられたりよくわからない人と2人暮らしするだけで月給100万円とか、あらすじを説明してもよくわからないと思うのでもうとにかく観てほしい。

上映時間3時間ぐらいあったのに飽きさせない展開のすばらしさと雰囲気作りに脱帽。3時間って結構長いと思うけど全然間延びがなかった。

ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを監督する前のピーター・ジャクソンに見せてやりたい。ただただ長えよあんたの映画。おもしろいけど。

 

岩井俊二監督といえば現実と虚構の使い手というイメージがすごく強い。

花とアリス」の印象が強いからなのかもしれないけど、この作品の場合は特にそれが強烈に印象に残った。なんでも屋の安室と接する場面はリアルな現実で、一つ一つのものごとだったり言葉だったりにどぎついリアリティがある。

逆に同居人の真白さんと接するときは映像もなんだかぼやけてて、マジの虚構世界っぽい雰囲気がある。

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(何でも屋と接する「現実」の世界←→いかにも「虚構」っぽい真白さんとの同居部屋)

 

この二つの世界観を駆使して3時間の枠の中で人間ドラマともホラーともとれるやり取りがあれこれ展開されていく映画。

スリードもあったりちょっと叙述トリックっぽい要素もあったりして。これ以上に完成された物語を多少長尺とはいえ一つの枠の中に収めた映画はなかなかない。

 

タイトルの「リップ・ヴァン・ウィンクル」っていうのは、ワシントン・アーヴィングの小説でありそれに出てくる主人公の名前。

この小説はリップ・ヴァン・ウィンクルが迷い込んだ森の中で見知らぬ人と酒を飲んでいるうちに眠ってしまい、気が付いたら周りに誰もいなくなっていた挙句、家に帰ると20年もの時がたっていた」といういわゆる浦島太郎的なイマイチ学びのない物語だけど、この映画見終わったら「ああだからリップヴァンウィンクルなんだ」とか「予告編で被ってたあのマスクみたいなのってそういう意味か」ってすとんと腑に落ちる感覚がめっちゃいい。

気になった人は“映画を観る前に”読んでみてほしい。

短編集だからサクサク読めるよ。

スケッチ・ブック(上) (岩波文庫)

スケッチ・ブック(上) (岩波文庫)

 

 

黒木華さん大好きなんですよ。あの絶妙な幸の薄さ。薄すぎず濃すぎず。ちょうど1週間ごとに良いことと悪いことが交互に起こりそう。で自分の人生を振り返ってみた時に6:4ぐらいの比率で悪いことのほうが多かったなあ、やっぱり私ってそうなんだよなあとか苦笑しながら思っててほしい。

そして結婚相手も決して素敵すぎない男性を選んでほしい。そしてしっかり旦那に尽くしているにもかかわらず旦那に蔑ろにされつつ、それでも私はこの人と暮らしていくしかないんだと強い決意をするも数日ですぐ揺らいでほしい。なおこの物語はフィクションです。現実の黒木華さんには絶対に幸せになってほしい。

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そんな最高に面白くもあり、怖くもあり、不思議な映画、「リップヴァンウィンクルの花嫁」。まだ見てない人は2017年どころか2016年に乗り遅れてると思う。今すぐBlu-rayを買って最高画質で観てくれ。

 

『アイドルに本当に必要なのは「笑顔」か「涙」か』論

エビ中にハマった。それはもうハマった。

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先月出たこのベスト盤「中卒」「中辛」をほんの軽い気持ちで聴いてからというもの、今の僕の生活の9割はエビ中が占めている。ちなみに残りの1割は「じゃがりこ 塩とごま油味」に占められている。なんだアレ。革命だぞ。

 

正直ナメていた。ももクロにがっちりハマっていた2011~2012年ごろを最後に、スターダスト系列からは遠く離れたドルヲタ人生を送っていた。だからアイドルヲタクを自称しておきながらエビ中をまともに聴いたことがほとんどなかった。今思えばそんな自分をアイスピックでめった刺しにしたい。何で今まで聴いてこなかったんだ。アンテナが低すぎる。そんな低いアンテナなんか折ってしまえ。洗車の時に邪魔になるだけだ。

反省の証としてこの1週間の間に過去にリリースされたエビ中のCDを手あたり次第買いそろえて全曲聴いたしBlu-rayも3枚観た。

いろんな曲を何回も聴き込んでエビ中熱がキンキンに熱くなっている今の状況で「エビ中の何が良いか」なんてことを話し出したら時間も行もいくらあっても足りないので、今回は心の中に留めておくとして、今回はそんなエビ中Blu-rayや番組を見ていて感じたことについて考えたい。それが『アイドルに本当に必要なのは「笑顔」か「涙」か』論だ。

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エビ中絡みの映像を見ていてやたら印象に残ったんだけど、エビ中はとにかくよく泣く。メンバー特性も多分にあるだろうがそれにしても何かにつけてよく泣く。当社比120%ぐらいで泣く。

誕生日をお祝いされたらすぐ泣くし、学校の卒業をお祝いされてもすぐ泣くし、音響監督にちょっと厳しいこと言われてもやっぱりすぐ泣くし、極めつけには「魚介類が食べられないメンバー(小林さん)を他のメンバーが気遣ってお寿司じゃなくてラーメンを食べに行った」というエピソードだけで「申し訳ない」と連呼しながら小林さんが泣く。

アイドルが大衆に振りまかないといけないのは「笑顔」であるというのが、いわゆる世間一般論な気がする。非日常の中にある多幸感を提供し続けることが使命というか、「笑顔」というものが包括するプラスのイメージを提供し続けなければいけない存在だった。それに対する「涙」というのは、どちらかといえばマイナス。正負で言えば負のエネルギーだ。「涙」が一元的に全て負であるとは言い切れないが、一般的に言えばそうである、はずだった。

ところが、そういう風潮が今となっては変わってしまった。アイドルは「笑顔」を振りまく存在であるべきというのは、もう前時代的な考え方なのかもしれない。2010年前後を境に、アイドルビジネスの根本的な売り出し方に変化が起きた。多様化するアイドル、キーワードになったのは「成長過程」というもの。

 

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いかにヲタクにこう言わせるか、というのが当時から今までのアイドル戦国時代におけるポイントだったように思う。ここを強調するためにアイドル界で巻き起こってきたのが、アイドルの裏側・素の姿を惜しげもなく表へ出していこうという風潮だ。

2010年前後で最もバズったアイドルと言えば間違いなくももクロになるだろうが、彼女たちのライブ映像を収録したDVDには往々にしてバックステージドキュメントが収録されていた。個人的に特に印象的だったのが2011年冬のさいたまスーパーアリーナ。そのライブが収録されたDVDの特典映像で、ももクロにとって初となるさいたまスーパーアリーナの客席に1歩踏み入れた途端泣き崩れる5人の姿を、未だに鮮明に覚えているモノノフは少なくないと思う。

紅白出場を目標に掲げたももクロ結成当初、NHKホールの横の道端でストリートライブをやっていたころから追っかけている古参のモノノフなら、感涙を禁じ得ないシーンだろう。そうやってヲタクに対して「よくここまで頑張った」あるいは「ここまで連れてきてあげることができた」と思わせることがポイントだった。そしてその過程において、必要とされるのはキラキラした表舞台の「笑顔」よりも、裏舞台で見られる泥臭い「涙」だった。

そして時は流れ2016年。ももクロの妹分として同じスターダストプロモーションからデビューした私立恵比寿中学のDVD・Blu-rayにも当然もれなくバックステージドキュメントが収録されている。それだけにとどまらず、エビ中の場合は「EVERYTHING POINT」と銘打ったバックステージドキュメントだけの作品もリリースされている。もうすぐその第4弾が発売になる。もちろん予約済みだ。

 

こうやって考えると、今の時代でアイドルがビッグになっていく過程で必要なのは「笑顔」よりも「涙」なのではないかという説がかなり自分の中で有力視され始めた。ただ、「涙」を見せるためには「笑顔」が必要なのだ。負のイメージばかり押し付けられていても暑苦しいだけなので、上手く表舞台の「笑顔」で中和させてあげないといけない。

それ以前のアイドルにとっては表舞台で見せる「笑顔」こそが全てであり、裏舞台を見せるのはある種タブー視されてきた節があった。そこにあえて裏舞台での「涙」という土台を構築することで、その上に乗っかる「笑顔」をより強固に支え、ゆくゆくはアイドルのブランドイメージそのものを向上させてしまうというのが最近のアイドル、とりわけスターダスト界隈のメイン手法であり、自分はまんまとそれにハマってしまったわけだ。現にこれを書いている今、横のモニターで「EVERYTHING POINT3」を流しているが、「メンバーが一人体調不良で出演できない状況だが、シングル曲のライブ初披露をするかどうか」で議論するエビ中メンバーを見て泣いている。

 

だいぶ長くなってしまったが、結局今のアイドルというのはキラキラニコニコ歌って踊っていれば売れるという状況でもないらしい。だからと言って裏でぎゃんぎゃん泣いているところばっかり映しててもダメらしい。泣いてても、ステージでしっかりパフォーマンスができてないと意味がない。逆にステージ上で力を発揮できるグループの、裏舞台の「涙」というのは、ときに「笑顔」以上に強力な武器になる。

 

アイドルというのは、難しい。

でんぱ組.inc「WWDBEST」、最高傑作すぎてもう聴きたくない。

この感情、理解してもらえる人は少なくないはず。 

「WWDBEST」、俺はこの曲を何回も聴くと死ぬ。

でんぱ組の過去作に明るい人なら1回MVを見て曲を聴いただけでどれだけ「集大成」かわかるだろう。リフや歌詞はもちろん、振り付け、衣装、シチュエーションに至るまで代表曲からの引用に次ぐ引用。なんだったら過去のMVに出てきた懐かしのあの人たちが何のためらいもなく次々出てくる。懐かしさのバーゲンセール状態。

前山田健一畑亜貴meg rockかせきさいだぁ只野菜摘・NOBEの6名で作詞、玉屋2060%・浅野尚志・釣俊輔・Tom-H@ck小池雅也の5名で作曲、志賀匠・スミス・田辺秀伸・鶴岡雅浩・BOZO&YGQ・山崎連基の6名でMVの監督。もうなんだかよくわからない。このMVが出来上がるまでに17人のクリエイターがこの曲に関わっている。

それぞれがこれまでのでんぱ組の曲に大きく関わってきたクリエイターであり、それぞれのエッセンスがちゃんと全部入っている。人数多けりゃいいってもんでもないが、今回は別腹ということにしたい。

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曲が始まって12秒ぐらいの間に1回泣けるよねまず。いろんなイントロを重ねて重ねてフィードバックさせている感じからの、ダカドン!っていうスネアから始まる耳なじみのあるエレクトロサウンド。ここまででもう2回泣いてる。

そのほか泣けるポイントを抽出しようと思えば両手両足の指の数をはるかに凌駕する数で出てくるので割愛するが、とにかくこの曲はヤバい。サビ前のあのキメとか何あれ。サーチライトの眩しさでもっと泣ける。MV含めると20名弱のクリエイターが参加するモンスター楽曲なだけに果てしない完成度だが、だからこそ、もう聴きたくない。

 

あまりにも「集大成」で「最高傑作」すぎるんだ。隙がまったく無い。聴いてるとだんだん「あぁ、もうこれ以上のものが出てくることはないな」って感じてしまう。だからもう聴きたくない。この曲がいろんな意味で『最後』になってしまいそうで怖い。

 

かなり話は逸れるが、先日清竜人25が解散を発表した。しかも何の前触れもなく、ライブで披露した新曲の間奏部分で「清竜人25、解散します♡ごめんね♡」とか抜かしてあっさりと解散することになった。読めない。あまりにも読めなさすぎるぞ清竜人

これのズルいところは、披露した新曲の歌詞がガチガチに解散を匂わせていたことだ。「気づけばこんな時間まで歌っていたんだね」とか「こんな遠くまで歩いていたんだね」とか「振り返れば足跡がいくつも輝いてる」とか「きっとそろそろかな」とか。なんでもかんでも過去形にしやがって。古事記か。

現場でも曲聴いててピンと来た人は多分少なからずいただろう。自分も動画で初めて曲を聴いたが、1サビ終わりぐらいでもう聴きたくなくなった。いい意味でも悪い意味でもなく、その曲を聴き終わることが同時にグループの終わりを指しているような気がしてすごく嫌というか、寂しいというか、悲しい気分になってしまう。好きなグループが解散するという現実を素直に受け入れてしまうのが嫌だった。

25の解散に関しては8割ぐらい清竜人の気まぐれだろうが、最近でいうとBPM15Qとか。「BPM15Q ALL SONGS」の「GOOD LUCK」。これはもうまず一言目「グッバイさよなら」から始まるし。解散するのは知ってたけど、曲のド頭でいきなり別れ告げられて流れてくるのは涙。結局曲の最後はカチッっていうクリック音で終わるし、「あっ、停止されたんだ」ってなんか直感的に思ってしまう節があって、そして流れるのは涙。

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ちなみに15Qは、メンバーを増員して「CY8ER」として活動を継続するらしい。

 

そして改めて「WWDBEST」を聴いてみると、25の新曲然り、「GOOD LUCK」然り、ここ最近のアイドルたちの解散を象徴する楽曲と同じ雰囲気を感じる。それがどこから来るものなのかはいまいちピンと来ないが、直感的に「なんかもうこれ以上はなさそう」と思ってしまう。

なんだろうこの感じ。ここ最近最上さんが病んでて脱退するんじゃねーかとかねむさんが「武道館は絶対見に来てほしい」って言ってたからやっぱり脱退するんじゃねーかとか、そういう前振りの情報があったからだとは思えなくもないが、それを抜きにしてもなんか腑に落ちない、この曲。なんだろうマジで。めちゃめちゃ良い曲だし泣けるポイント盛り沢山なのに「めっちゃいい曲」ですんなり終わらしてくれないこの感じ。

まさか、そんなことないと信じてるし、この曲より凄いのをもし今後出して来たら、いよいよ世界征服だぞ。でんぱ組.inc。がんばれ。

いくらファンタジーの世界でも、無償の能力っていかがなものか問題。

ハリー・ポッター」の世界に、「アロホモラ」という呪文がある。

なんて素敵な呪文だろう。杖を振ってこの呪文さえ唱えれば鍵のかかった扉を開けられるらしい。あまりにも汎用性が高すぎる。しかもこの呪文、ホグワーツの1年生レベルで簡単に使える入門用のような呪文。ホグワーツは空き巣とピッキング魔の養成所だったのかもしれない。仮に目撃者がいたとしても「オブリビエイト」で忘れさせて、反撃してくるようであれば「ステューピファイ」。なんてこった。ただの死喰い人だ。

 

といったように、現実世界では100%起こりえない現象を起こすことができるのがファンタジーの世界の魅力だ。だから、ファンタジーの世界の中で起こっていることに対してそんなことあるわけねえだの現実味がねえだのああだこうだと講釈を垂れることほど野暮ったいことはないという自覚もあるのだが、それでもどうしたってこれだけ言わせてほしい。

ファンタジーがなんぼのもんかは知らないが、どんな状況下であっても、「無償の能力」なんてものはあり得ないんだ。絶対。

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「ファンタスティック・ビースト 魔法使いの旅」を見た。

基本的にはおもしろい映画だった。上であれやこれやとファンタジーに対して大風呂敷を広げた割に、僕は「ハリー・ポッター」シリーズが大好きだし、ファンタジーの世界観も大好きだ。

ハリー・ポッターとは全然違う、いわば魔法動物マニアとでもいうべき主人公ニュート・スキャマンダー。もう、清々しいレベルの変人だ。いちいち伏し目がちに喋ってアイコンタクトをとれない、魔法動物のことになったら見境なく絶叫する、魔法動物を武器として使いこなす。同じ動物マニアのムツゴロウさんよりタチが悪い。

 

ちょっと話は逸れるが、魔法と並列で語ることのできるファンタジックな力と言えば何があるだろうか。というのをふと考えてパッと思いついたのが忍術と錬金術だった。

日本で忍術をテーマにした作品と言えば、まあ僕たちの世代でいうと「NARUTO」で、錬金術なら「鋼の錬金術師」だろう。NARUTOハガレンとファンタスティック・ビーストを同系列で語るのもどうかとは思ったが、一番しっくりくる例えがこれしか思いつかなかったので大目に見てほしい。

NARUTOハガレンとファンタビ、決定的に違うのが今回最も声高に指摘したいところ、「能力に対する代償の有り無し」だ。

 

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例えばNARUTOであれば、登場人物が忍術を使う際には必ず「チャクラ」が必要とされている。いわば「気」のようなものだが、劇中にチャクラを必要としない忍術はほぼ出てこない。使おうとする忍術が強力なものになればなるほどチャクラの消費量も大きくなり、連発できないというリスクもある。ナルトの代表的な必殺技である螺旋丸は、ナルトが手の上でチャクラそのものを球状に固めて相手に押し付けるという、まさに力に対する代償を具現化した技になる。

一方鋼の錬金術師では、劇中でなにかと『1のものからは1しか生み出せない』という、「等価交換」の原則が持ち出される。物質を理解し、分解し、再構成するのが錬金術の基本とされていて、必然的に100gのものに錬金術を使っても100g以上のものは生み出せない。そもそも物語の目的が「等価交換の原則に背いたために失われた兄弟の体を取り戻す」という、ガチガチに代償めいたものだったりするのは周知の事実である。

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ところが問題のファンタスティック・ビーストである。いや、ハリー・ポッターのころからそういう雰囲気がなかったわけではないが、今回は特に気になってしまった。魔法を使うことによる、使用者へのデメリットが何一つないのだ。打ったら打っただけ得になる。「人間に見つかる」という不利益もあるにはあるが、天秤にかけたところで圧倒的にメリットのほうに傾くに違いない。見つかったところでオブリビエイトで忘れさせれば何の問題もないし、オブリビエイトをかけるにあたって使用者へのデメリットは何一つない。なんだこのバランス。チャクラも減らないし等価交換の原則もガン無視。ニュートが魂を鎧に定着させただけの存在になる日もそう遠くない。

極めつけには姿現しの乱用。もうあいつらコンビニ行くレベルでも姿現ししそう。だって、姿現しっていわばテレポートなわけだよ。時間と空間の原則を無視して移動することに対するデメリットが「難しい」ってだけだよ。いや、そりゃ難しいに決まってんだろ。その割にはぽんぽん便利な使い方しやがって。マツイ棒か。

 

ここまで読んでいる人がネタバレなど今更気にしないと思うのでざっくばらんに言うが、最終決戦後にぼろぼろに壊れた町並みを数人の魔法使いがちょいちょいと杖を振るだけで全部元通りになっていくあのシーン。このシーンに至ってはもうなんか悲しくなってしまった。なんっだあれ。結局杖の一振りで何もなかったことにできてしまうのか。じゃあもう、あんな熾烈な戦いなんてなくてもよかったぞ。

あのシーンを見てカタルシスを感じる人がいるのであれば、その人は多分プロアクションリプレイとかフル活用して、手持ちのポケモンを全部Lv100の伝説級で固めてジムリーダーをボッコボコにするのを生きがいとしているような小学5年生程度の感受性しか持ち合わせていないに違いない。そう言いきってしまってもいいぐらい安直で悲しいシーンだったと、個人的には思う。

結局何が言いたかったのかというと、魔法使いすぎたやつは死ねとまでは言わないが、なんかデメリットあってもいいんじゃないかってことだ。それぐらいの損得のバランスがないと世界観が成立しないんだ。魂割きすぎて見るも無残な風貌になったヴォルデモート見習え。損すら気にしないダークロードさすが。

 

ファンタジーにハマる人から言わせれば夢がないのかもしれないが、非現実的なファンタジーだからこそ「非現実の中の現実」だったり「非日常の中の日常」にちゃんと準拠してほしいなあ~と思う部分があまりにも多く、それと同じぐらいの比率でエディ・レッドメインの変わった人演技とダン・フォグラーのイケメンデブ加減にすげぇ~と思う部分があった。燃えよ!ピンポン

ちなみにファンタスティック・ビーストは全5部作予定らしい。強烈に残りの4部作に期待しつつ、途中でエディ・レッドメインが制作サイドとの何やかんやで降板したりしないことを祈っている。

吉田凛音を見て「かわいいね」としか言えない大人たちへ。

メラビアンの法則」というものがある。

人に教わった話では、「人が誰かを初対面で判断するときの判断要素のうち、5割以上は見た目などの視覚情報からくるものであり、聴覚情報などを含めると9割以上の割合で人間は他人の印象をノンバーバル情報に頼っている」というのがメラビアンの法則らしい。

小生この世に生を受けてたかだか20数年の若輩者だが、たかだが20数年の間にもいろんな出来事があったよ。彼女にむごい振られ方をして泣いたこともあるし、酒に酔って友達の家のベッドに向かって嘔吐ぶちかましたのに優しく介抱してもらって泣いたこともあるし、好きだった女の子に告白したけど玉砕して傷心ながらに大学内の川辺で夜にアコギぽろんぽろん弾いてたら苦情を言われて、深夜1時に泣きながら土下座したこともある。なんで理系はあんな遅くまで研究棟にいるんだ。てか泣いてばっかじゃねーか。

そんな紆余曲折あるはずの人生を9割以上見た目オンリーで判別されるだなんて馬鹿な話があってたまるか。何とか異を唱えたいと思って個人的にちゃんと調べてみたことがある。

 

ちゃんと調べてみたところ、メラビアンさんは全然そんなこと言ってなかったのだ。正しい意味でのメラビアンの法則とは、「『矛盾があるメッセージを受け取った際に』人が重要視する判断要素のうち、5割以上が視覚情報である」というものだった。

要は、スゲー元気なさそうなのに「楽しいね」って言ってるやつが本当に楽しいか楽しくないかを判別するとき、人が頼るのは「元気なさそう」という見た目の印象だということである。これをメラビアンさんが研究して法則化したのがメラビアンの法則だ。

おいおいおい待ってくれ、聞いてた話と全然違うぞ。俺は別に初対面の人に向かって肩落とし気味に「楽しいね」なんて言ったことないしそもそもじゃあ俺が教えてもらったのはどこの誰が提唱した法則だったんだ。嘘八百教えて人から金巻き上げてんじゃねえぞあの就活セミナーのおっさん。絶対来世で呪う。

 

ともあれ、こういう間違った情報を安易に流布させてしまう人たちのせいでというかおかげでというか、人間というものは人の第一印象をほぼ見た目に頼ることが多い。上で1000字弱連ねた文句のちゃぶ台を自分でひっくり返すようだが、得てして他人の印象とはそういうものだ。

ところが、見た目の印象に翻弄されるがあまり、もっと奥底にある輝きを見つけられないまま立ち去っていく人も多い。そういう人たちに集られているんじゃね?と若干心配になるのが、吉田凛音である。

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かわいい。間違いないんだよな。このかわいさ。剥製にして茶の間に飾りてぇ。

 

「かわいい」で終わってない?

いろんな界隈の人と吉田凛音の話をすると

「あぁ、りんねちゃん。最近話題になってるよね。かわいいし」

だいたいこういうニュアンスの返答が返ってくる。知り合いのドルヲタはたいてい年上の方ばかりなので「アッ、ソッスヨネ」と流すが、心の中ではマウント取ってボッコボコだよボッコボコ。キン肉バスターかけてバズーカで撃ってるよ。アンタどっかに語彙っていう概念置き忘れてきてんぞ。今日行った喫茶店とか本屋に電話してみたほうがいいよ。

確かにかわいいさ。だがこの子の曲をちゃんと聞いてみたことがあるか?

歌が上手いんだ。まずはそこまでちゃんと見てやってくれ。

上手いと言っても別に特徴的な声でもないし特別際立ったテクニックがあるわけでもない。この子の武器は「フラットな歌の上手さ」だ。

よく「これぐらいの子だったらカラオケ上手い子レベルでゴロゴロいるじゃん」っていう人もいる。そいつもマウントでボッコボコだ。よく考えてほしい。彼女はまだ15歳だ。中学3年生。これから待っている楽しい学校生活も青春も甘酸っぱい恋愛も、人生において1度きりの貴重な10代をほぼすべて捨てて、脂ぎったおじさんたちにワーキャー言われるだけのアイドルになってくれと言われて、首を縦に振る女子中学生が日本広しと言えど何人いるだろうか。そしてその子が歌が上手い可能性は何%だろうか。さらに彼女のようにルックスまでイケてる場合に絞るといよいよ何%だろうか。

70~80年代のアイドル全盛期なら露知らず、今はグループアイドル全盛期だ。そう考えると、これだけフラットな歌の上手さと大衆受けするルックスを兼ね備えた15歳のソロアイドルというのはもはや奇跡に近い。天文学的な確率の上に吉田凛音は存在している。あまりにも尊い。尊いなあ。

 

「かわいいし歌が上手い」で終わってない?

だが吉田凛音のすごいとこはまだまだある。いい加減メラビアンの法則は頭の片隅へ放り投げてくれ。

彼女の本当にすごいところ、それは音楽的な「器の深さ」にある。

これはソロ曲ではないが、さっきの曲とまるで別物だ。まあ作ってる人が違うから当たり前と言えば当たり前だが、それでもこんな全く違う色のフィールドに放り込まれてもちゃんと吉田凛音を保っている。

一緒に歌っているのは蒼波純という子。この子はこの子で色々おもしろいんだけど今回は割愛。赤と青を混ぜて紫になったんだなーっていうよりは、この紫は赤と青が混ざってできたものなんだなーって思う感じ。演繹的というか。吉田凛音蒼波純が混ざってるのにそれぞれの形をくっきり残して崩しすぎない。

このひねくれた歌詞にミニマルなリフを乗せた5拍子の曲。一体だれが作ったんだと思ったら案の定大森靖子とサクライケンタか。メンヘラと天才かけ合わせたらえらいことになるな。

 

そして極めつけはコイツだ。

とうとうここまで来たか。「真夏のBeeeeeeaM.」がはるかかなた遠くに感じるほど長い道のりを歩いてきたみたいだが、なおも吉田凛音の形をしている。しかもちゃんと韻を踏める可能性ができるだけ広がる、れっきとしたラップの歌い方をしている。

個人的に今アイドルラップ界隈で一番うまいし一番好きなのはリリスクのminanさんだったりするんだけどな。リリスクの新譜サイコーだったな。minanさん、紫の子ね。

 

リリスクの動画で締めてしまって言うのもなんだが、吉田凛音は何をやらせても上手くハマる。彼女の真のすごさはここにある。15歳という幼さゆえの部分もあるだろうが、それでもここまでいろんなことをやらせてもイメージが変わらないアイドルというのはそうそういない。吉田凛音だからこそどんなジャンルにも癖がなく当てはめることができるが、仮にもし似たようなことをやろうとしてBABYMETALが急にやたらテクノじみた曲調で「萌え萌え~」みたいな曲を持ってきたら多分全世界のメタラーは「無理だ!」と叫んだ後爆散して死ぬ。

歌も上手いしルックスもいいし音楽性の器も深い、そんな今最もアツいソロアイドル、吉田凛音。どうか表面的なところだけでなく、しっかり奥底までかみしめて味わってもらいたいアイドルである。あともう二度と嘘メラビアンの法則を流布する悪い大人が現れませんように。

なぜヲタクと繋がってしまうアイドルがいるんだろう?

アイドル(Idol)っていう言葉の意味をちゃんと調べてみたことがあるだろうか。

そもそも「アイドル=idol」とは、直訳で「偶像」という意味らしい。偶像というのは神様や仏様のような宗教的な崇拝対象を形どってつくられた像のことで、「偶像崇拝」とかっていう言葉があったりする。もっとも偶像崇拝(例えばキリスト様の銅像を崇拝したりすること)っていうのは平たく言うと「俺たちはキリスト様の存在を崇めてるんであって別に銅像とかそういうモノを崇めてる訳じゃねえ」っていう否定的な指摘の際に使われる言葉らしいけど。まあその辺はどうでもいい。

 

つまり言い様によっては、アイドルはすなわち偶像、崇拝対象にならないこともない。聖書=雑誌やネット記事の中でその存在を知り、CDで神のお告げを聴き、お布施としてグッズ代を支払い、ライブという定期的に行われる礼拝の場でご神体を崇め奉る。

なんだ、アイドルというものは、現代の神だったのか。実にありがたいものだ。これで℃-ute矢島舞美さんが「唯一神」と呼ばれている本当の理由が分かった気がする。

ところが近頃は、そんな神ともあろうアイドル様に対しておいそれと「繋がり」を求める不躾な一般教徒が大勢いるらしい。これは由々しき事態だ。

 

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今日、とある5人組アイドルグループの中心メンバー2名が、ヲタクとプライベートな繋がりを持っていたことが発覚し、結果的にグループを脱退するという発表があった。日ごろからTwitterに噛り付き牧師様神父様もビックリの情報収集能力で界隈の動向を探っている敬虔な教徒諸君なら、どこのグループの誰と誰のことを言っているのかは言わずもがな分かると思うので詳細は省く。

 

多くのヲタたちは傷つき悲しんでいることだろう。自分もその一人である。が、僕の怒りの矛先はその「繋がり」を求めたヲタたちへではなく、安易にヲタと繋がってしまったアイドル本人たちへ向いている。貴様らはもう神でも何でもない。神から離反した、いわば堕天使だ。いや、天使は神じゃないけど。もうどうでもいい。サタン。

 

そもそもアイドルグループのメンバーひとりひとりというものは、これはアイドルに限った話ではないが、「商品」なわけだ。例えばアンジュルムのメンバーは全員アップフロントプロモーションの「商品」であるし、でんぱ組.incのメンバーは全員秋葉原ディアステージの「商品」だ。アイドルにおけるプロ意識というのは、アイドル自らが「自分は商品なんだ」という自覚を持っているか否かというところに帰結する、と思う。

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そしてその商品でどういう風にビジネスを展開していくかというと、CDやグッズを出したりCDをリリースしたりもそうだが、昨今のアイドルにおいてはもっぱら接触商法が用いられる。つまりは握手会・チェキ会だ。場合によってはアイドルと一緒にバーベキューができる、バスツアーに行ける、旅行に一緒に行けたりする場合もあるらしい。俺もアイドルと旅行行きたい。できれば温泉。混浴。

 

アイドルひしめく2010年代、儲けの鍵を握るのはこの接触商法なはずだ。ヲタクたちはアイドルと接触したいがために同じCDを必要の有無に関わらず複数枚購入し、握手券やチェキ券、その他もろもろのイベント参加券を手にして嬉々として接触へ向かうのである。つまり、アイドルとヲタとの接触には金銭のやり取りが発生する。これにはCDやグッズのように原価はかからないし、高額なライブ会場のレンタル資金も必要ない。アイドルの身体とちょっとした人件費さえあれば生むことができるこの利益こそがアイドル側にとっては大きなビジネスチャンスであり、それがあるからこそ2016年現在のアイドル文化が発展してきたと言っても過言ではない。

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ところが、そういうことを全く考えず、自らの商品価値も把握できていない残念な「自称:アイドル」の女性たちが安易に走るのがヲタクとの「繋がり」だ。そりゃあさぞかし気分はいいだろう。元々は自分のファンなわけなんだから、求めることは何でもしてくれるだろう。そこそこのものだったら買ってもくれるだろう。それより何よりまぁ~~チヤホヤしてもらえることだろう。馬鹿かと。だからお前はサタンなんだと。

 

そんなことがまかり通ったらあらゆるアイドルの接触商法はただの無味乾燥な作業イベントと化してしまう。「別にお金払わなくても会えるし」っていうアイドルに、誰がわざわざ同じCDを何枚も買って会いに行こうと思う?

ヲタクがそういう接触イベントに行って実際にアイドルと会って話せる、接触できるのはせいぜい5秒~10秒程度だ。彼女たちのようなサタンには、真面目なヲタクがただ日頃の感謝と激励の言葉を5~10秒間伝えたいがためにいくらのお金と時間を使っているかをもう一度地獄で考えてほしい。地獄の長になるのはそれからでも遅くない。

 

実際、個人的にオフのアイドルとばったり出くわしたことが何回かあるのだが、本当のアイドルはオフの時に握手や写真撮影を求められても大抵が申し訳なさそうに断る。自分たちの「握手」や「一緒に撮る写真」に商品価値があることをちゃんと理解しているからだ。自分たちは握手や2ショットチェキでお金が稼げる存在だとちゃんとわかっている。それでも傷つけない程度に「イベントに来てくれたら握手できますんで!」とキャバ嬢の営業メールみたいなあまりにも鋭利な言葉をヲタの心に串刺してキラキラと立ち去ってしまう。本来はこれがアイドル、であるはずなんだ。泣くな俺。

 

考え方によっては、こういうのもアイドル戦国時代の弊害なのかもしれない。道行くそこそこかわいい女の子に「アイドルやってるんですか?」って冗談半分で聴いたら「はい」って言われるっていうのが冗談じゃなくリアルであり得る世の中になったからこそ、全員が全員プロ意識を持って活動できているとは決して言いきれない状況にもなってしまった。

いずれそういうサタン達は淘汰されていく運命にあるんだろうが、健全なアイドルだけになるのと同時に絶対数の減少でアイドル文化そのものが衰退していそうな気が薄々するのが非常に悲しい。

 

今回は繋がってしまったアイドル側に向けてのみあれこれと書いたが、本来は繋がろうとするヲタこそが最大の悪だ。彼奴らのせいで何の罪もない他のヲタたちがいたく傷つき悲しみのどん底に陥れられたことを思うと、やりきれない。全員出禁になったそうだが、それでも足りないぐらいだ。今後一生ノニジュースしか飲んじゃいけないみたいな罰則とか与えられないもんかね。いや、だめだ、最終的に健康になってしまう。

いずれにせよ、今後二度とアイドル界でこういう話が出てこないことを切に願うばかりだ。