楽曲評論家クソDDのアイドル三十七房

アイドルの話しかしません。

吉田凛音を見て「かわいいね」としか言えない大人たちへ。

メラビアンの法則」というものがある。

人に教わった話では、「人が誰かを初対面で判断するときの判断要素のうち、5割以上は見た目などの視覚情報からくるものであり、聴覚情報などを含めると9割以上の割合で人間は他人の印象をノンバーバル情報に頼っている」というのがメラビアンの法則らしい。

小生この世に生を受けてたかだか20数年の若輩者だが、たかだが20数年の間にもいろんな出来事があったよ。彼女にむごい振られ方をして泣いたこともあるし、酒に酔って友達の家のベッドに向かって嘔吐ぶちかましたのに優しく介抱してもらって泣いたこともあるし、好きだった女の子に告白したけど玉砕して傷心ながらに大学内の川辺で夜にアコギぽろんぽろん弾いてたら苦情を言われて、深夜1時に泣きながら土下座したこともある。なんで理系はあんな遅くまで研究棟にいるんだ。てか泣いてばっかじゃねーか。

そんな紆余曲折あるはずの人生を9割以上見た目オンリーで判別されるだなんて馬鹿な話があってたまるか。何とか異を唱えたいと思って個人的にちゃんと調べてみたことがある。

 

ちゃんと調べてみたところ、メラビアンさんは全然そんなこと言ってなかったのだ。正しい意味でのメラビアンの法則とは、「『矛盾があるメッセージを受け取った際に』人が重要視する判断要素のうち、5割以上が視覚情報である」というものだった。

要は、スゲー元気なさそうなのに「楽しいね」って言ってるやつが本当に楽しいか楽しくないかを判別するとき、人が頼るのは「元気なさそう」という見た目の印象だということである。これをメラビアンさんが研究して法則化したのがメラビアンの法則だ。

おいおいおい待ってくれ、聞いてた話と全然違うぞ。俺は別に初対面の人に向かって肩落とし気味に「楽しいね」なんて言ったことないしそもそもじゃあ俺が教えてもらったのはどこの誰が提唱した法則だったんだ。嘘八百教えて人から金巻き上げてんじゃねえぞあの就活セミナーのおっさん。絶対来世で呪う。

 

ともあれ、こういう間違った情報を安易に流布させてしまう人たちのせいでというかおかげでというか、人間というものは人の第一印象をほぼ見た目に頼ることが多い。上で1000字弱連ねた文句のちゃぶ台を自分でひっくり返すようだが、得てして他人の印象とはそういうものだ。

ところが、見た目の印象に翻弄されるがあまり、もっと奥底にある輝きを見つけられないまま立ち去っていく人も多い。そういう人たちに集られているんじゃね?と若干心配になるのが、吉田凛音である。

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かわいい。間違いないんだよな。このかわいさ。剥製にして茶の間に飾りてぇ。

 

「かわいい」で終わってない?

いろんな界隈の人と吉田凛音の話をすると

「あぁ、りんねちゃん。最近話題になってるよね。かわいいし」

だいたいこういうニュアンスの返答が返ってくる。知り合いのドルヲタはたいてい年上の方ばかりなので「アッ、ソッスヨネ」と流すが、心の中ではマウント取ってボッコボコだよボッコボコ。キン肉バスターかけてバズーカで撃ってるよ。アンタどっかに語彙っていう概念置き忘れてきてんぞ。今日行った喫茶店とか本屋に電話してみたほうがいいよ。

確かにかわいいさ。だがこの子の曲をちゃんと聞いてみたことがあるか?

歌が上手いんだ。まずはそこまでちゃんと見てやってくれ。

上手いと言っても別に特徴的な声でもないし特別際立ったテクニックがあるわけでもない。この子の武器は「フラットな歌の上手さ」だ。

よく「これぐらいの子だったらカラオケ上手い子レベルでゴロゴロいるじゃん」っていう人もいる。そいつもマウントでボッコボコだ。よく考えてほしい。彼女はまだ15歳だ。中学3年生。これから待っている楽しい学校生活も青春も甘酸っぱい恋愛も、人生において1度きりの貴重な10代をほぼすべて捨てて、脂ぎったおじさんたちにワーキャー言われるだけのアイドルになってくれと言われて、首を縦に振る女子中学生が日本広しと言えど何人いるだろうか。そしてその子が歌が上手い可能性は何%だろうか。さらに彼女のようにルックスまでイケてる場合に絞るといよいよ何%だろうか。

70~80年代のアイドル全盛期なら露知らず、今はグループアイドル全盛期だ。そう考えると、これだけフラットな歌の上手さと大衆受けするルックスを兼ね備えた15歳のソロアイドルというのはもはや奇跡に近い。天文学的な確率の上に吉田凛音は存在している。あまりにも尊い。尊いなあ。

 

「かわいいし歌が上手い」で終わってない?

だが吉田凛音のすごいとこはまだまだある。いい加減メラビアンの法則は頭の片隅へ放り投げてくれ。

彼女の本当にすごいところ、それは音楽的な「器の深さ」にある。

これはソロ曲ではないが、さっきの曲とまるで別物だ。まあ作ってる人が違うから当たり前と言えば当たり前だが、それでもこんな全く違う色のフィールドに放り込まれてもちゃんと吉田凛音を保っている。

一緒に歌っているのは蒼波純という子。この子はこの子で色々おもしろいんだけど今回は割愛。赤と青を混ぜて紫になったんだなーっていうよりは、この紫は赤と青が混ざってできたものなんだなーって思う感じ。演繹的というか。吉田凛音蒼波純が混ざってるのにそれぞれの形をくっきり残して崩しすぎない。

このひねくれた歌詞にミニマルなリフを乗せた5拍子の曲。一体だれが作ったんだと思ったら案の定大森靖子とサクライケンタか。メンヘラと天才かけ合わせたらえらいことになるな。

 

そして極めつけはコイツだ。

とうとうここまで来たか。「真夏のBeeeeeeaM.」がはるかかなた遠くに感じるほど長い道のりを歩いてきたみたいだが、なおも吉田凛音の形をしている。しかもちゃんと韻を踏める可能性ができるだけ広がる、れっきとしたラップの歌い方をしている。

個人的に今アイドルラップ界隈で一番うまいし一番好きなのはリリスクのminanさんだったりするんだけどな。リリスクの新譜サイコーだったな。minanさん、紫の子ね。

 

リリスクの動画で締めてしまって言うのもなんだが、吉田凛音は何をやらせても上手くハマる。彼女の真のすごさはここにある。15歳という幼さゆえの部分もあるだろうが、それでもここまでいろんなことをやらせてもイメージが変わらないアイドルというのはそうそういない。吉田凛音だからこそどんなジャンルにも癖がなく当てはめることができるが、仮にもし似たようなことをやろうとしてBABYMETALが急にやたらテクノじみた曲調で「萌え萌え~」みたいな曲を持ってきたら多分全世界のメタラーは「無理だ!」と叫んだ後爆散して死ぬ。

歌も上手いしルックスもいいし音楽性の器も深い、そんな今最もアツいソロアイドル、吉田凛音。どうか表面的なところだけでなく、しっかり奥底までかみしめて味わってもらいたいアイドルである。あともう二度と嘘メラビアンの法則を流布する悪い大人が現れませんように。

なぜヲタクと繋がってしまうアイドルがいるんだろう?

アイドル(Idol)っていう言葉の意味をちゃんと調べてみたことがあるだろうか。

そもそも「アイドル=idol」とは、直訳で「偶像」という意味らしい。偶像というのは神様や仏様のような宗教的な崇拝対象を形どってつくられた像のことで、「偶像崇拝」とかっていう言葉があったりする。もっとも偶像崇拝(例えばキリスト様の銅像を崇拝したりすること)っていうのは平たく言うと「俺たちはキリスト様の存在を崇めてるんであって別に銅像とかそういうモノを崇めてる訳じゃねえ」っていう否定的な指摘の際に使われる言葉らしいけど。まあその辺はどうでもいい。

 

つまり言い様によっては、アイドルはすなわち偶像、崇拝対象にならないこともない。聖書=雑誌やネット記事の中でその存在を知り、CDで神のお告げを聴き、お布施としてグッズ代を支払い、ライブという定期的に行われる礼拝の場でご神体を崇め奉る。

なんだ、アイドルというものは、現代の神だったのか。実にありがたいものだ。これで℃-ute矢島舞美さんが「唯一神」と呼ばれている本当の理由が分かった気がする。

ところが近頃は、そんな神ともあろうアイドル様に対しておいそれと「繋がり」を求める不躾な一般教徒が大勢いるらしい。これは由々しき事態だ。

 

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今日、とある5人組アイドルグループの中心メンバー2名が、ヲタクとプライベートな繋がりを持っていたことが発覚し、結果的にグループを脱退するという発表があった。日ごろからTwitterに噛り付き牧師様神父様もビックリの情報収集能力で界隈の動向を探っている敬虔な教徒諸君なら、どこのグループの誰と誰のことを言っているのかは言わずもがな分かると思うので詳細は省く。

 

多くのヲタたちは傷つき悲しんでいることだろう。自分もその一人である。が、僕の怒りの矛先はその「繋がり」を求めたヲタたちへではなく、安易にヲタと繋がってしまったアイドル本人たちへ向いている。貴様らはもう神でも何でもない。神から離反した、いわば堕天使だ。いや、天使は神じゃないけど。もうどうでもいい。サタン。

 

そもそもアイドルグループのメンバーひとりひとりというものは、これはアイドルに限った話ではないが、「商品」なわけだ。例えばアンジュルムのメンバーは全員アップフロントプロモーションの「商品」であるし、でんぱ組.incのメンバーは全員秋葉原ディアステージの「商品」だ。アイドルにおけるプロ意識というのは、アイドル自らが「自分は商品なんだ」という自覚を持っているか否かというところに帰結する、と思う。

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そしてその商品でどういう風にビジネスを展開していくかというと、CDやグッズを出したりCDをリリースしたりもそうだが、昨今のアイドルにおいてはもっぱら接触商法が用いられる。つまりは握手会・チェキ会だ。場合によってはアイドルと一緒にバーベキューができる、バスツアーに行ける、旅行に一緒に行けたりする場合もあるらしい。俺もアイドルと旅行行きたい。できれば温泉。混浴。

 

アイドルひしめく2010年代、儲けの鍵を握るのはこの接触商法なはずだ。ヲタクたちはアイドルと接触したいがために同じCDを必要の有無に関わらず複数枚購入し、握手券やチェキ券、その他もろもろのイベント参加券を手にして嬉々として接触へ向かうのである。つまり、アイドルとヲタとの接触には金銭のやり取りが発生する。これにはCDやグッズのように原価はかからないし、高額なライブ会場のレンタル資金も必要ない。アイドルの身体とちょっとした人件費さえあれば生むことができるこの利益こそがアイドル側にとっては大きなビジネスチャンスであり、それがあるからこそ2016年現在のアイドル文化が発展してきたと言っても過言ではない。

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ところが、そういうことを全く考えず、自らの商品価値も把握できていない残念な「自称:アイドル」の女性たちが安易に走るのがヲタクとの「繋がり」だ。そりゃあさぞかし気分はいいだろう。元々は自分のファンなわけなんだから、求めることは何でもしてくれるだろう。そこそこのものだったら買ってもくれるだろう。それより何よりまぁ~~チヤホヤしてもらえることだろう。馬鹿かと。だからお前はサタンなんだと。

 

そんなことがまかり通ったらあらゆるアイドルの接触商法はただの無味乾燥な作業イベントと化してしまう。「別にお金払わなくても会えるし」っていうアイドルに、誰がわざわざ同じCDを何枚も買って会いに行こうと思う?

ヲタクがそういう接触イベントに行って実際にアイドルと会って話せる、接触できるのはせいぜい5秒~10秒程度だ。彼女たちのようなサタンには、真面目なヲタクがただ日頃の感謝と激励の言葉を5~10秒間伝えたいがためにいくらのお金と時間を使っているかをもう一度地獄で考えてほしい。地獄の長になるのはそれからでも遅くない。

 

実際、個人的にオフのアイドルとばったり出くわしたことが何回かあるのだが、本当のアイドルはオフの時に握手や写真撮影を求められても大抵が申し訳なさそうに断る。自分たちの「握手」や「一緒に撮る写真」に商品価値があることをちゃんと理解しているからだ。自分たちは握手や2ショットチェキでお金が稼げる存在だとちゃんとわかっている。それでも傷つけない程度に「イベントに来てくれたら握手できますんで!」とキャバ嬢の営業メールみたいなあまりにも鋭利な言葉をヲタの心に串刺してキラキラと立ち去ってしまう。本来はこれがアイドル、であるはずなんだ。泣くな俺。

 

考え方によっては、こういうのもアイドル戦国時代の弊害なのかもしれない。道行くそこそこかわいい女の子に「アイドルやってるんですか?」って冗談半分で聴いたら「はい」って言われるっていうのが冗談じゃなくリアルであり得る世の中になったからこそ、全員が全員プロ意識を持って活動できているとは決して言いきれない状況にもなってしまった。

いずれそういうサタン達は淘汰されていく運命にあるんだろうが、健全なアイドルだけになるのと同時に絶対数の減少でアイドル文化そのものが衰退していそうな気が薄々するのが非常に悲しい。

 

今回は繋がってしまったアイドル側に向けてのみあれこれと書いたが、本来は繋がろうとするヲタこそが最大の悪だ。彼奴らのせいで何の罪もない他のヲタたちがいたく傷つき悲しみのどん底に陥れられたことを思うと、やりきれない。全員出禁になったそうだが、それでも足りないぐらいだ。今後一生ノニジュースしか飲んじゃいけないみたいな罰則とか与えられないもんかね。いや、だめだ、最終的に健康になってしまう。

いずれにせよ、今後二度とアイドル界でこういう話が出てこないことを切に願うばかりだ。

そろそろ「GOGO DEMPA」について本気で考えてみよう。

この時期になると2016年のアイドル楽曲大賞のことばかり頭に浮かぶ。更新頻度が落ちたのは9割ぐらいそれのせいだ。嘘だ。ぶっちゃけ3割ぐらいだ。

 

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さて、でんぱ組.incのアルバム「GOGO DEMPA」が今年4月にリリースされてはや半年が経った。ヲタの間でかなり賛否両論物議をかもしたこのアルバムの意義について、今年のうちにちゃんと本気で考えてみることにしたい。

 

「これじゃねえ」

リリース当初はあちらこちらからこんな声が飛び交っていた。じゃあ一体どれなんだ。

おそらく敬虔なでんぱ組信者であれば、いわゆる彼女たちの十八番である電波ソングモリモリの飛び道具的な一枚を期待していたに違いない。自分も正直その一人だった。

なまじ前作「WWDD」で『NEO JAPONISM』のようなあまりにも射程距離の長すぎる飛び道具をかましてきただけにその期待は大きかった。過去振り返ってみても、やっぱりでんぱ組は『でんぱれーどJAPAN』や『でんでんぱっしょん』みたいな早口すぎて何言ってるのかわからない or 単純にコンセプトの意味が分からない、的な絶妙な振り切れ加減を強力な武器にしてきたのだ。

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そこで今一度「GOGO DEMPA」を聴いてみると、見事にそういう曲が1曲もない。『破! to the Future』みたいにシングルカットされた曲の中には多少片鱗を残したものの、新緑されたアルバム曲はそのほとんどが今までのでんぱ組のイメージとはかけ離れたものが多かった。というより、今まででんぱ組がやってこなかったことをいっぺんにこのアルバムでやってしまった感があった。

EDM、ジャズ、ファンク、クランチサウンドの激爽やかポップス、ブラスサウンドの多用でちょっと泣かせにかかっている感すらある。もがピンもめちゃめちゃ歌上手くなってるし。武道館のもがソロが贔屓目に見てもあまりに下手で可哀そうになってたあの頃が懐かしいわ。俺の青春を返せ。

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それまでのアルバム曲なんかそれだけ抽出して流してたら無意識にサイリウムぶんぶん振り回すマンになるまで洗脳されきってしまいそうな曲ばっかりだったのに、今回のアルバム曲は午前10時ぐらいのすがすがしさに包まれたおしゃれなカフェで流してたほうがしっくりくる。それぐらい毛色が違う。だって朝10時のカフェで「絶好調」連呼する曲流れてたらさすがに絶不調になるでしょ?

 

「代々木大実験」との近似性

ちょっと話は逸れるが、去年の2月に代々木第一体育館で開催された「でんぱーりーナイト de パーリー」について。あの公演はMARQUEEの編集長に「代々木大実験」と言わしめた。それまででんぱ組がやらなかったライブ演出をあれやこれやと盛り込んだ公演だったからである。自分もこのライブは見に行ったが、まず毎回恒例なはずのメンバーの自己紹介がないことに驚愕したのをよく覚えている。MCも含め全編通して一つの物語として作り上げていて、ライブにストーリー性を持たせる、「ファンタジック」という新しいでんぱ組のカタチを提示するきっかけになった。

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あれが「代々木大実験」ならば、「GOGO DEMPA」はさしずめ「GOGO大実験」とでもいうべきか。その実験の度合いが「これからこういう感じもやっていきますよ」っていう断定の段階なのか、「こういうのやってみたんですけどどう?」っていうお伺いの段階なのかはわからないが多分前者な気がする。

 

ライチュウになっても可愛がれるのか」問題

現メンバーでの活動が5年目の節目の年。俺たちが手塩にかけてかわいがったでんぱ組は、新しい形へと少しずつ変化しながらその枠を超えていこうとしている。よく考えてみれば「WWDD」の『イロドリセカイ』あたりで既にその兆候はあったような気もしてきた。現状維持は微減を招くとはよく言うが、でんぱ組も「電波ソングによる現状維持」から「新機軸による成長と拡大」へと舵を切った。「GOGO DEMPA」はその転換点として今後大きく取沙汰される作品になる、はず。

 

なんか書いてて、ポケモン思い出したな。初めてポケモンをやったとき、トキワの森で血眼になって捕まえて手塩にかけて育てたピカチュウに勢いで雷の石を使ってライチュウに進化させてしまった時の「えっ、なにこいつ、こんなやつ知らねえ」感。ただ、ライチュウ単体で見ればそこそこ可愛いはずなのに、より可愛かったはずのピカチュウ時代を知ってしまっているからこそ生まれてしまう「これじゃねえ」という感情。言わずもがなライチュウになってからは育てることをしなくなった。

幼少期の僕にあったこの感情は、子供心ながらのものだと信じたい。願わくば2~3年後、僕がでんぱ組を見て「えっ、なにこいつ、こんなやつ知らねえ」と思ってマサキのボックスに突っ込んでしまわないことを切に祈る。

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そういえば、ピカチュウ版のピカチュウは進化させられないんだっけ。俺も赤じゃなくてそっちやっとけばよかったな。

BiSが始まった瞬間に聞こえた、BiSが終わる音。

もうだいぶ前のことになるが、中心メンバーであるプー・ルイを含む5人で、BiSが再結成された。その瞬間僕の中で「BiSは終わった」という想いがふつふつと湧き上がってきた。

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BiSについては、このブログの中でも再三記事にしているが、このブログはありがたいことに全くアイドルに興味がない人の目にも触れる機会が多いため、今一度「BiS」に関して簡単に振り返っておきたいと思う。

まずBiSは、基本コンセプト的にはアイドルではない。なんか誰もが忘れていそうな設定だが、BiSは「Brand-new idol Society(新生アイドル研究会)」の略称で、彼女たちはアイドルを研究し、アイドルになろうとする、アイドルになりたい女の子たちである。そのため根本的にBiSはアイドルという枠組みの中には入らないはずだが、まあその辺をやおら追及するのも今となっては無粋だ。

いっぱしのアイドルグループのくせにPVで全裸になったり、スクール水着で観客席にダイブしたり、客席に向かって鳥の臓物や生の麺を投げ込んだりという奇妙奇天烈で摩訶不思議でホンワカパッパなパフォーマンスが一部のアウトローアイドルヲタ達にクリーンヒットし、なんやかんやで最終的には地下アイドルから横アリワンマンまで登りつめた、それがBiS。

どれだけBiSがハチャメチャかというのは、この動画を見てもらえればわかると思う。厳密にはBiSじゃなくてBiS階段っていうユニットだけど。

最初期からBiSの中心にいたのは、リーダーでもあるプー・ルイとマネージャーの渡辺淳之介である。BiSはこの2人によってつくられ、一度なくなり、そして今年復活した。

 

 

僕にはこの再結成の理由が未だにわからない。

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これは個人的な意見でしかないけど、「伝説になった」として終わったものをもう一度始める理由が僕には一つも思いつかない。オリジナルメンバーはプー・ルイのみ、他の4名は全員オーディションで選出した、いわば素人だ。

「BiS」という栄光の看板にすがっているわけでは決してないと思うし、さすがにプー・ルイがそんなダサいことしないだろうとも思いつつ、今回の再結成、俺に言わせりゃ、最高にダサい。ダサすぎる。マイナスのほうのダサさだ。ヤバいぞ。

例えるならば、何かがきっかけでX JAPANが解散してしまったとして、TOSHIがボーカルで残りのパートを全員アマチュアから拾ってきて「X JAPAN」というバンド名でXのコピーバンドをやるようなもんだ。書いてて寒気がしてきた。俺の想像上だとしてもTOSHIにそんなダサいことさせて本当ごめん。例え話だ。許せ。

どうだろうか。Xのファンがこれを見たらどう思うだろうか?「そんなもんはX JAPANじゃねぇ!やるんならあの世からhide引きずりだしてこいやオラァ!」と胸倉掴んで凄むに違いない。きっとその時彼の背後でBGMとしてかかっているのはRusty Nailだ。

 

アイドル界における過激で奇抜なパフォーマンスのパイオニアとしてBiSは持ち上げられていたがそれも今や昔。BiSの出現以降に出現したアイドルがすでにその流れは一通り踏襲してしまった。元BiSメンバーが所属するBILLIE IDLE®、GANG PARADE、Maison book girlやBPM15Q、寺嶋由芙に至るまで、もう彼女たちは「元BiS」という看板に頼る必要は全くなくなった。BiSHなんか、初期こそ糞尿ぶちまけられたりしてたけど、今となってはもうBiSみたいにハチャメチャなことやんなくても普通にいい曲で良いライブしちゃうんだもん。

ちなみにこの動画、僕が今まで見たアイドルの野音の中でダントツに泣ける動画だった。落ちサビのアイナ(ハスキーボイスの子)、泣きながらの歌唱がヤバい。

 

誤解の無いように付記しておくが僕はBiSが大好きだ。曲もいい、パフォーマンスも面白い。日々進化し続けるアイドル界に大きな一石を投じたBiSの功績こそ後世まで脈々と受け継がれていくべきものだと心から思う。

だからこそ、安易にBiSの看板で商売していいのか?本当に大丈夫か?以前と同じやり方はもう通用しない。新しいやり方で、新しいメンバーで、新しい曲で、一からやって横浜アリーナワンマンを超えるところまで行けるのか?今のままだと、どうにもやれてTDCホールぐらいのキャパでぽつぽつワンマンが打てる程度にしかならなそうで、非常に心配だ。

 

プー・ルイといえばエゴサーチの鬼なので、もしかしたら何かしら経由でこの記事を目にすることがあるかもしれない。現BiSメンバー然り。どうか、片田舎に住むただのアイドルヲタクの戯言だと思って聞き流してくれ。そして、2年後の俺に、あんなこと言わなければよかった、俺が余計な心配なんかしなくてもBiSはやっぱりやってくれるグループだった、と思わせてくれ。頼む。


絶対に、世界変えてくれ。

平成2期ライダー。お前たちに言いたいことが2つだけある

2つだけだ。これでも結構絞ったぞ。ホントは35個ぐらいあるけどな。断腸の思いで33個切ったんだから2つだけよく聞いてけ。先に言っとくけど相当長いからな。

 

ちなみに平成ライダー1期は2000年のクウガから2009年のディケイドまでの10作。2期は続くWから今のエグゼイドまでの今のところ8作。

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エグゼイドね。見てる?2016年現在の子供がメインターゲットな割にはやたら8bitっぽい効果音やドット絵っぽい演出を多用してるあたり、ファミコン世代のアラフォーお父さんをガチガチに取り込んでいこうというわざとらしさを痛いほど感じさせる。今の子供って思ってるほどカセットフーフーしねえから。かろうじて3DS。あいつら隙あらばマイクロファイバーで出来た謎の布でディスク拭きだすから。

ちなみにエグゼイドは、3話現在今のところ凡作。

 

1. 変身ポーズが長い。そしてダサい。

 しばしば仮面ライダーの変身ポーズは非現実的だと揶揄されてきた。「そんなポーズ取ってる間に攻撃されたらどうすんの?」とか、ゴチャゴチャうるせえ。「そんなポーズ取ってる間に攻撃されたらどうすんの?って指摘してる間にお前の実家に北朝鮮からのミサイル飛んできたらどうすんの?」って言ってるぐらい現実味のない指摘だからなそれ。テレビマンのご都合主義ナメんな。

 

それにしても最近の変身ポーズは長い。そしてダサい。特に酷いのがここ2年間のドライブとゴースト。ドライブの変身はあのシフトカーをカチャってやるところで完結してんだよ。何そのあとの余計な動き。あとゴースト。レバーを引いてから押すまでの間にあるあの手首クルクルと組んでる印は一体なんだ。納豆の糸でも巻いてんのか。

いや、わかる。変身ポーズというものはそもそもが無駄な動きだ。結局フラグさえ立ててしまえばあとは何もする必要がないのが変身という作業。だが特にこの2人のライダーの変身ポーズは無駄に無駄を掛け合わせてさらに別の無駄を足して無駄が出来上がったという絶妙な無駄さ加減。あまりに不毛。ちなみに陰に隠れてるけどマッハとかスペクターとかのサブライダーも無駄な動き酷いからな。他人事だと思ってんなよ。

 

ただ平成2期ライダーのすべてがそうというわけではない。一番カッコいいのはオーズ。オーズの変身ポーズは、「メダルをセットする→ドライバーを傾ける→スキャンする」という純粋に変身する為に必要な工程をとっているだけのポーズだ。実に無駄がない。無駄のなさで言えば時点でウィザードもなかなかの出来。テーマがテーマだからある程度かっこつけても許されるというところが多少ズルい。

 

ちなみに今までの仮面ライダーで最も無駄な動きの多い変身ポーズは多分BLACK RX。こいつがタチ悪いのは変身ポーズだけじゃなくて変身後の自己紹介も無駄に長い。そして無駄な動きが多い。そして「俺は太陽の子!」と謎の口上を述べる。歌舞伎役者かお前は。人の子だろ。そのくせここ一番という場面ではそのポーズを完全に無視して「変身!」と叫ぶだけで変身したりする。潔い、潔いぞ南光太郎

 

ちょっと横道にそれすぎてしまったが、要するにそういうことだ。わかってもらえたと思う。わかってもらえたことにして次に行こう。

 

 

2. 安易に「レジェンド」を使いすぎ。

「レジェンド」って言葉の意味、知ってる?例えるならば、矢沢。

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なんだか最近はつい去年のライダーでさえ「レジェンド」扱いになるらしい。片腹痛い。痛すぎる。去年のライダーが矢沢クラス?それ、俺はいいんだけど、YAZAWAがなんて言うかな?

時を行き来できる電王や過去ライダーの世界を巡るディケイドという便利な存在のおかげで、今や過去のライダーがリバイブ登場することは決して珍しいことではなくなってしまった。なんか最近では1号ライダー出しとけば胸アツな展開になるんじゃね?とかってもう1号のバーゲンセール。1号魂とかギャグでも笑えない。平成2期はグッズ展開の手広さが異常だけど、全部そこに結び付けちゃってもう守銭奴以外の何ものでもない。そんなに東映もテレ朝も資金事情厳しいわけ?そんな東映やテレ朝にお勤めしてる人の年俸、矢沢の2秒。

 

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そもそもそんな安易に過去ライダー出てきて見てるほうが嬉しいと思うの?マジで謎。まあ俺がマイノリティなのは否めないが、ゴーストの過去ライダーラッシュなんかもう唖然としちゃって。挙句の果てには「平成魂」とか出しちゃって。人の力ばっか頼ってんじゃねえよ。まずはお前が命燃やしきってからにしろよ。あ、燃やす命がなかったのか。

今年もどうせレジェンドライダーガシャットとか出すんでしょ。あんまりネタバレみるのは好きじゃないから意図的にそういう玩具情報みたいなのは避けてるけどまず間違いなく出るわ。あと2スロット同時差しで変身する強化フォーム用ガシャットとか。これも絶対出る。

その辺はまあいいとして、安易にたかが去年のライダーをレジェンド扱いしてホイホイ映画やテレビに出さないでほしい。安売りは早死にの元だぞ。あといくらレジェンドだからって別に要所でもないところで平気な顔して1号を使わないでほしい。藤岡弘ももう70だから。ゆっくりコーヒーぐらい淹れさせてあげてよ。

 

 

とにかく話が脇道という脇道に逸れまくったが、要は最近の仮面ライダーには言いたいことが多すぎる。別に手広い商品展開をするなとは言わないし、ホイホイ過去ライダーを出すなとも言わない。ただ、「要所」を選んでくれと。それだけは強く願う。

ただ無駄な変身ポーズは一切認めない。来年あたり木場さんが変身するオーガみたいなクールで悲しみと怒りに満ちたライダーやってくれないか。

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損したのは、BELLRING少女ハートではなく朝倉みずほでは?

さて、この記事を読んでいるアイドルヲタクの中に今年リリースされたBELLRING少女ハートの「BEYOND」を聴いたことがない人はいないと思う。もしこの期に及んで聞いたことがないなどと宣うロートルは今すぐタワレコに走るかOTOTOYでハイレゾを買え。もうすぐ今年終わるってのにお前はこの1年何をしてたんだ。

 

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今年いっぱいをもってBELLRING少女ハート(以下「ベルハー」)から朝倉みずほ・柳沢あやのの両名が卒業、同時にベルハーは活動休止となることが発表されて世のオルタナロックアイドルヲタが悲哀に暮れているさなか、この1件でのベルハーと両名(特に朝倉みずほ)との損得のバランスが取れているのかどうなのか僕はひたすらに気になった。とにもかくにも、「この1件、どっちも損してない?」ということである。

 

朝倉・柳沢といえばベルハーのいわゆる看板で、特に朝倉は唯一生き残ってきたオリジナルメンバー。ぶっちゃけこの2人がいないグループをベルハーって呼べるの?的な疑問もネット上あちらこちらで噴出しつつある。

そんなメンバーを失うベルハー、まさに宝を失い大きな痛手…さぞかし朝倉・柳沢は大きく羽ばたいていくことだろう…と思ったのもつかの間。柳沢は卒業後ソロ活動へ移行することが発表されたが、おい朝倉、お前だちょっと待て。そこへ座れ。

 

朝倉が先日更新した本人のブログでこんなことを言っていた。

(前略)あ~私にはベルハーのその先に夢はないなってなった。例えば女優さんになりたいとかモデルさん歌手芸人さんタレントさんあとなにかあるかな・・?わからないけど、例えばこんな感じの夢

 

要するにいわゆる「人気者」になるのが朝倉の目標らしいが、だったら今のベルハー捨てるの、もったいなくね?というのがめちゃめちゃ率直な感想。いや、本人的に「アイドルは10代までって決めてた」からっていうのは分かるんだけど。お前それもう30近いこじはるにアイドルやらせてる秋元康に面と向かって言えんのか。あいつ怒らせたら両脇からとんねるず出てきて部屋の壁に無断でサイン書かれるぞ。「ペレ」って。持ち家とか借家とか関係ねーからあいつら。

 

確かに、アイドルグループを卒業して女優・タレントに流れていくケースは多々ある。最近それが顕著に成功していると思えるのは早見あかりぐらいだろう。

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あかりん、大人っぽくなっちゃったな~。青年館のころが懐かしいわ。

早見あかりに関しては、「元ももクロの」というだけで「あぁ~」と言ってくれる人が石を投げれば当たるほどいる。それはももクロがある種AKBに次ぐ国民的アイドルになれたからである。今後朝倉がなんとなく地上に上がってきたとき「元ベルハーの」と言って「あぁ~」という人に石を投げつけられる自信は僕にはないし、そういう人種とは自宅でのCD鑑賞を生業とする屁のような人種がほとんどのためそもそも当たらない。

あの不動かつ栄光のAKBエースだった前田敦子ですら「シン・ゴジラ」では崩落する東京湾アクアラインから脱出する2,3秒のカットで、『えっ、なになに!?』みたいな一言しかしゃべらせてもらえなかったのだから、芸能界というのはそんなに生半可な場所ではない、らしい。

 

そんなことをいろいろと総合して考えたら、ベルハーと朝倉がWin-WinならぬLose-Loseの関係になっているように思えてならない。なんかどっちも損してない?大損ってほどでもないけど、なんかデメリットを知らずに使い続けるリボ払いみたいな損の仕方してない?

本当に売れたいのなら、今のベルハーを最大限に利用しない手はないはずなんだが、そこは本人のアイドル美学が勝ってしまったらしい。まあなんだかんだと言っても20歳にもならないそこそこの女の子がそういう信念をもって芸能活動をしているということは素晴らしいことだと思うし、僕はめちゃめちゃベルハー好きなんでこの流れで朝倉がいわゆる「人気者」になったらそれはそれでイケてる展開だな。そのままいなくなったら、あまりにも残念な逸材だと思うんだけど。

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「9mm Parabellum Bulletが好きだ」って言う人が好き。

知ってる?9mm Parabellum Bullet

いや、みなまで言うな。何が言いたいかはわかる。「読めない」と。

 

「キューミリ パラベラム バレット」と読むらしい。最初は「キューミリ」じゃなくて「ナインミリメィトォー」的な読み方をするのかなと思ったんだけど思いのほか日本男児だった。まあそんなことはどうでもいい。とりあえずこのMVを見てほしい。

 

どうでした?

いや、みなまで言うな。何が言いたいかはわかる。「意味が分からない」でしょ?わかる。俺も最初そう思った。

街中でおもむろに日本刀を構える美女とスタッズバリバリの革ジャンを着た男、いや、男というよりもはや彼こそがスタッズそのものかもしれない。そんな2人がレスポールでいいだけ殴り合ったあとお寺でカレーを食べラストは大爆破。そんなMV。

これこそが9mm Parabellum Bullet。これこそが、僕が高校・大学時代に最も熱狂的にハマったバンド。今日はそんなバンドの話。

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横浜から出てきて数年、上の「Supernova」を出したころの9mmはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、そんな9mmに落とされた大量の飛ぶ鳥の中にいた一羽が僕。とにかく馬鹿みたいに9mmのCDばっかり聴いていて、「洋楽?9mmのほうがカッコいいじゃん」「えー!シングルなのにライブ音源1時間も付いてんじゃーん!」としょうもないことに一喜一憂しながら、僕が今の邦楽ロック至上主義者に成り下がるきっかけを作り、ジミヘンやクラプトンやスティーブ・ヴァイザック・ワイルドジョン・フルシアンテみたいなギターヒーローに周りの楽器小僧がキャーキャー言っていた中僕が追いかけていたのが滝善充。

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周りのギターキッズたちが「BOSS!MAXON!オーバードライブ!ディストーション!キャイキャイ」とはしゃいでいたさなか、僕が生まれて初めて買ったエフェクターはBOSSのオクターバー。もちろん使いこなせなどしなかった。

  

9mmを誰かが語るとき絶対に口にするのが「9mmはダサいのがかっこいい」という謎の理論。最初は何言ってんだと思ってたけど、これ以外に9mmの良さを言い表す言葉が見つからないのが事実。

 


9mm Parabellum Bullet - シベリアンバード 〜涙の渡り鳥〜

ね、わかったでしょ。ダサい。最高にダサい。なのにカッコいいのはなんでだろう。そもそも「涙の渡り鳥」ってなに?あとその前後についてる「~」もなに?

 

そんな9mmも結成10年をあっという間に過ぎ、既に円熟期。4~5年前に落とされた大量の鳥たちはいよいよ回復の兆しを見せてあちらこちらへと飛び立っているのが現状なのに、僕はいまだに落とされたまま。一向に傷が癒えない。ずっと9mm聴いてる。

 9mmに対する考え方ってって実は3周ぐらいしてると個人的に思う節がある。「ダサいのがかっこいい」のが第1段階、「『ダサいのがカッコイイ』っていう言い訳がダサい」が第2段階。そして今は、「『ダサいのがカッコイイっていう言い訳がダサい』っていう考え方がダサい」という第3段階。敵の敵は味方理論の発展版。

 

そんな9mmのことを好きになってくれるあなたが好きです。

ハートに火をつけようぜ!(スチャスチャスチャスチャ)


9mm Parabellum Bullet - ハートに火をつけて